アウ・クレア高時代に、南カリフォルニア州の年間最優秀選手&Mr.バスケットボールに選出された。
そして96年、ドラフト1巡目17位で指名されてトレイルブレイザーズへ入団。
同年12月に、18歳と1ヶ月22日でデビュー。
ブレイザーズ時代の4シーズンは、平凡以下といってもいいほどの選手であったが、
2000年にペイサーズへ移籍して開花。
移籍1年目のシーズンに、初めて二桁となる平均12.9得点、9.80リバウンド、
ホークスの
セオ・ラトリフ
の3.74ブロックショットに次ぐリーグ2位の2.81ブロックショットをマークして、
ラリー・バード・ヘッドコーチの下、
レジー・ミラー
らと共にファイナルまで進出。
しかし、フィル・ジャクソン・ヘッドコーチ、
コービー・ブライアント、
シャキール・オニール
らを擁する王者レイカーズに2勝4敗で惜しくも敗れた。
しかし01-02年シーズンには、昨季から得点(12.9→19.0)、
リバウンド(9.80→10.50=リーグ7位)で成績を伸ばし、
最も成長した選手に与えられるMIP賞を受賞し、
オールスターゲームに初出場するなど躍進のシーズンとなった。
また、2.31ブロックショットはリーグ6位。
だが、チームはプレイオフの1回戦で敗退。
02-03年シーズンは、平均得点を20点の大台に乗せる20.8得点、リーグ4位の10.30リバウンド、
リーグ7位の2.31ブロックショットをマークし、
次代のフランチャイズプレイヤーとしての期待を受けて、
03年オフに7年総額1億2600万j(約151億2000万円)でNBAトップ3に入るほどの大型契約を提示されて残留した。
線は細いが、ゴール下に強く、得点、リバウンド、ブロックショットに長けるため、
あとはダブルチームにきた時のパスの能力を伸ばすでだけである。
02年、世界選手権メンバー。
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