87年、ドラフト全体1位指名(スパーズ)。
2年間の兵役生活を経て、89年にスパーズ入団。
同年シーズン、全82試合に出場して新人王(24.3得点、12.0リバウンド、1.68スティール、3.89ブロックショット)を獲得。
以降、7年連続で1試合平均20得点以上、10リバウンド以上、3ブロックショット以上を記録。
その内、92年には最優秀守備選手賞(12.2リバウンド、2.32スティール、
4.49ブロックショット=1位)、
95年にはシーズンMVP(27.6得点、10.8リバウンド、3.23ブロックショット、1.65スティール)、
90、91、94〜96年にはIBM賞を受賞した。
さらに、91年にはリバウンド王(13.0リバウンド)、
92年にはブロックショット王(4.49ブロックショット)、
94年にはキャリアハイの71得点を記録するなど得点王(29.8得点)にも輝いた。
この3つのタイトルに輝いたのは、今までに
カリーム・アブドゥル・ジャバー
以来2人目の選手となった。
そして、91〜92、95〜96年には「All-NBA 1st Team」、
94、98年には「All-NBA 2nd Team」、
90、93、00年には「All-NBA 3rd Team」、
91〜92、95、96年には「All-Defensive 1st Team」、
90、93〜94、98年には「All-Defensive 2nd Team」に選出された。
史上初めて7年連続でオールNBAとオール・ディフェンシブに名を連ねた。
96-97年シーズンは、6試合の出場に終わるも、
98-99年シーズンには、
グレッグ・ポポビッチ
ヘッドコーチに率いられ、
ティム・ダンカン
と共に“ツインタワー”を形成して念願のNBA制覇を成し遂げた。
01年、スポーツマンシップ賞を受賞。
02-03年シーズンを最後に現役引退。
キャリア通算でも1試合平均20得点以上、10リバウンド以上、3ブロックショット以上を記録し、 ブロックショット数は歴代4位にランクしている歴史に名を刻む名センター。 今までに10度のオールスター出場(先発3度)。 86年、ワールドチャンピオンシップメンバー。 87年、Pan America Teamの一員。 96年、「NBAの偉大な50人」に選出された。 92、96、98年の米国代表に選出されて金メダル2個と銅メダルを獲得。 オリンピックでの米国代表の最多記録となる270得点、124リバウンド、34ブロックショットの記録保持者でもある。 |
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