ムーンバレー高からアリゾナ大へ進学し、01年ドラフト1巡目13位でロケッツから指名され、直後にエディ・グリフィンとの交換トレードでネッツへ移籍。ルーキーシーズンは、キース・バンホーンのバックアップとして1試合平均24.3分(79試合)の出場時間で9.4得点のアベレージをマークし、「All-Rookie 2nd Team」に選出された。ディフェンス面でも高い能力を発揮したことでバイロン・スコットHCの信頼を勝ち取り、オフにはキース・バンホーンの放出が決まったことで、スターターとなって迎えた02-03年シーズンは、得点を6点以上を上げる15.5得点、リバウンドは倍近くの6.4リバウンドを記録し、2年連続ファイナル進出に一役買った。
翌03-04年シーズンは、さらにスタッツを向上させる平均18.5得点、3.8アシスト、5.7リバウンド、1.12スティールのアベレージを残し、オールマイティーな活躍ぶりを披露して改めて能力の高さを示した。
04-05年シーズン、得点源ケニオン・マーティンが去り、新エースとしての期待を背に受けて臨んだが、怪我の影響で33試合の出場に終わり、チームもプレイオフ1回戦で敗退した。
04年、アテネ五輪の米国代表メンバー。
プロ入り前から定評のあったダンクとクイックネスは年を追うごとに成長し、弱点と言われていたジャンプシュートにも確実性を増してきている。
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