セントビンセント・セントメリー高校1年のシーズンを全試合全勝で終了し、オハイオ州チャンピオンに導く。
高校2年目には平均25.3得点、7.4リバウンド、5.5アシストと成績を伸ばし、チームを2年連続で州チャンピオンに導く。
高校第2学年としてオハイオ州では初となるミスター・バスケットボールに選ばれる。
01年7月、アディダス主催のABCDキャンプに招聘され、MVPを獲得。
02年5月、「USAトゥデイ」紙のプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに、
最終学年以外の選手としては史上初めて受賞。
03年3月、州のプレイオフを勝ち抜き、この4シーズンで3度目となる
州チャンピオンに輝き、自身は2年連続で「USAトゥデイ」紙の
年間最優秀選手に選出された。
4年間の通算成績は、105試合に出場して平均25.2得点、8.0リバウンド、5.0アシスト、3.2スティール。
4年間のチーム成績は101勝6敗(勝率.944)とまさに無敵を誇った。
シーズン終了後に行われるオールスターゲームの中でもハイレベルな
マクドナルド・オールアメリカンや、EAラウンドボール・クラシック、
さらにジョーダン・キャピタル・クラシックの3つの大会でMVPを受賞。
高校オールスターのダンクコンテストでも優勝している。
同校の通算得点記録を塗り替えるなどし、背番号「23」は永久欠番となった。
03年6月に行われたドラフトで、全体1位指名を受けてキャバリアーズに入団。契約シューズ・メーカーを巡る争いは、ナイキ、アディダス、リーボックといったシューズ界のトップ企業が乗り出し、最終的にナイキと7年間9000万j(約108億円)、契約金1000万j(約12億円)と信じられない額で契約した。
84年に
マイケル・ジョーダン
が初めて同社と契約した時の金額が5年間250万j、96年に
アレン・アイバーソン
がリーボックと結んだ契約が10年間5000万jだったことを考えれば、
この金額がとてつもなく高いことがわかる。
“マイケル・ジョーダンの再来”とも言われ、すでにほぼ完成された肉体を持ち、ポジションはPGからSFまでこなすことができる。
恵まれたサイズと優れた運動能力を兼ね備え、ロケッツの
トレイシー・マグレディ
や元レイカーズの
マジック・ジョンソン
と比較されるほど多彩な能力を持つ。なかでも最大の魅力は、なんといっても破壊力満点のスラムダンクだろう。さらに
マジック・ジョンソンやグリズリーズの
ジェイソン・ウィリアムス
を彷彿とさせるような芸術的なパスも得意とする。
これが得点力だけが売り物の高校生スターと一線を画す点である。
04年11月、コービー・ブライアントの記録を更新する史上最年少で通算2000得点を突破、05年3月には自己最多の56得点を挙げて史上最年少での50得点台を記録。
ニックネームは“キング”・ジェームス。
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