15歳からロシアのプロで経験を積み、99年にドラフト1巡目24位で指名されてジャズに入団。
1年目から全82試合の出場(先発40)で二桁得点(1試合平均10.7点)をマークして「All-Rookie 1st Team」に選出された。2年目は平均ブロック2.19でリーグ8位、平均スティール数も1.48と堅実なディフェンスを見せる一方、シュート成功率は.491でリーグ17位、などオフェンス力も兼ね備えているところを披露。
チームの顔であったジョン・ストックトンとカール・マローンが去った3年目の03-04年シーズンは、否が応でも中心選手の期待と重責を担いながらも、ほぼ全てのスタッツでキャリアハイを叩き出した。その中でも平均ブロックは2.76、平均スティールは1.92、平均リバウンドは8.1と、自慢の守備力を遺憾なく発揮し、初の「All-Defensive 2nd Team」に名を連ね、その年のオールスターにもコーチ選出で初出場した。
その活躍が認められ、04年11月に6年総額8600万jの大型契約で契約延長。
04-05年シーズンは、05年3月に左手首を骨折してしまいその後を欠場して41試合のみの出場となったが、平均ブロック3.32はブロック王、平均スティールは1.63を残し、2年連続で「All-Defensive 2nd Team」に選出。
フランチャイズプレイヤーまで駆け上がった、長い腕と抜群の運動神経を武器にブロックとスティールに高い能力を発揮してアメリカン・ドリームを掴んだ“AK47(ロシアのライフル銃)”。
01年、ヨーロッパMVP。
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