コネチカット大3年時にAP通信が選ぶ
「1st Team All-America」
、Big East ConferenceとECACの
年間最優秀選手
に選出されるなど、若い頃から注目を集める。
99年には、NCAAの
「最優秀アウトスタンディング」
に輝くなどして、
エルトン・ブランド
や
シェーン・バティエ
らを擁する名門デューク大を破って全米王者に輝いた。
そして、99年のドラフト1巡目7位で指名され、コネチカット大からウィザーズへ入団。
NBA1年目は不甲斐ない成績に終わったが、2年目の2000-01年シーズンは、1試合平均得点を一気に二桁(9.0→18.1)まで挙げてスタメンの座を掴み、“神様”
マイケル・ジョーダン
の復帰で話題を呼んだ01-02年シーズンは、エースの期待を受けて臨み、自己最高の20.0得点を叩き出した。
しかしオフの9月、ピストンズの
ジェリー・スタックハウス
が絡んだ3対3の交換トレードで放出されてしまった。
移籍1年目は、初めて全82試合に先発してチーム得点王となる19.7得点をマークして、最優秀守備選手を受賞した
ベン・ウォレス
と共に、チームをカンファレンス1位、プレイオフではカンファレンス決勝まで導き、オフに7年総額6200万jの大型契約を結ぶに至った。
プロ入り当初は線の細さを指摘されていたが、初めてポストシーズンを経験したことでタフさを身に付けてきた。
|