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National League ― Central
Chicago Cubs |
| 1876年 | アンディ・マクフェイル | |
2回(1907,08年) |
| 1回(1998年) | |
| 10回(1906,07,08,10,18,29,32,35,38,45年) | ||
| 4回(1984,89,2003,07年) |
1876年にナ・リーグの創設に加わり、そのまま存続し続けている唯一のチーム。
79年からキャップ・アンソンが監督兼選手となり、80年代に5度の優勝を飾った。因みに愛称のキャップはキャプテンを縮めたもの。
しかし1890年に2位となったのを最後に、19世紀は下位に低迷したが、1906年には監督兼任でファーストを守ったフランク・チャンスと、セカンドのジョニー・エバース、ショートのジョー・ティンカーの3人は併殺トリオとして、歌になるほど有名となり、この年に記録した116勝はメジャー新記録を更新した。1907年に初め
てワールドシリーズを制覇し、翌年もプレイオフを制して3年連続リーグ優勝、ワールドシリーズ連覇を達成した。
1929年には大打者ロジャース・ホーンスビー二塁手らの活躍でリーグ優勝。
チーム史上初の黒人選手となったアーニー・バンクス遊撃手が、58年から2年連続でMVPを受賞し、59年には通算426本塁打のビリー・ウィリアムス外野手、60年には通算342本塁打のロン・サント三塁手がデビューするが優勝には届かなかった。 84年にはセカンドの最多本塁打記録保持者のライン・サンドバーグ二塁手がMVPを受賞する活躍で地区優勝。87年にはアンドレ・ドーソン外野手がMVPに輝いたが、チームは地区最下位に沈んだ。 89年にマーク・"アメイジング"・グレースがファーストに定着、92年にはサミー・ソーサ外野手が加入し、98年にカージナルスのマーク・マグワイア一塁手とともにホームランの打ち合いを演じて全米中を興奮のるつぼに誘った。 06年オフに300億円を超える大補強を敢行。闘将ルー・ピネラ監督を招聘、さらに「40本塁打&40盗塁」を達成したアルフォンソ・ソリアーノ外野手らを獲得し、1908年から遠ざかるワールドチャンピオンに向けて巻き返しを図る。 |
球場名 | : | リグリー・フィールド |
オープン | : | 1916年 |
収容人数 | : | 41118人 |
外野 | : | 左108.2/中121.9/右107.6 |
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