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American League ― Eastern
Toronto Blue Jays |
1977年 | ロジャース・コミュニケーションズ | ||
2回(1992,93年) | 0回 | ||
| 2回(1992,93年) | ||
| 5回(1985,89,91〜93年) |
1977年にマリナーズとともにア・リーグに加盟。
前年に、チーム名を公募すると3万人のファンから4000ものニックネームが寄せられ、カナダ・オンタリオ州の鳥であるブルージェイズ(青カケス)に決定した。
85年に初優勝を遂げたが、この年からプレイオフが7回戦制になったのも影響して西地区王者のロイヤルズに3勝4敗で惜しくも敗退した。しかし、この時の外野トリオは全員59年10〜11月生まれの左翼手ジョージ・ベル、中堅手ロイド・モスビー、右翼手ジェシー・バーフィールドで、当時のメジャー最強と言われた。 J.ベルは87年にア・リーグMVPに選出。 R.モスビーは今でも試合、安打、二塁打、得点などチーム歴代1位の記録を持つ。 89年6月5日、史上初めて開閉式屋根付き球場、スカイドームがオープン。 外野にはハードロック・カフェがあり、隣接したスカイドーム・ホテルには窓からフィールド一望できるスイートルームがある。 プレイオフでは89年にアスレチックス、91年にはツインズにそれぞれ1勝4敗で敗れ、ワールドシリーズには届かなかった。 だが、92年はカナダのチームとして初めてワールドチャンピオンに輝いた。 93年のシリーズは、第6戦に1点ビハインドで迎えた9回裏にジョー・カーターが逆転サヨナラ3ランを放って勝負を決めた。 それは、60年ヤンキース戦でのビル・マゼロスキー(PIT)以来の「シリーズに決着をつけるサヨナラ本塁打」であった。 以後95年、97年に最下位になるなど低迷するが、96年に パット・ヘントゲン、97〜98年には ロジャー・クレメンスと、3年連続でサイ・ヤング賞を輩出。 そして03年には、エース右腕のロイ・ハラデイが最多勝に加え、チーム史上3人目のサイ・ヤング賞に輝いた。 |
球場名 | : | ロジャース・センター |
オープン | : | 1989年 |
収容人数 | : | 50516人 |
外野 | : | 左100/中121.9/右100 |
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