Barry Zito
San Francisco Giants
(SP/左投左打/背番号:75)

1978年5月13日生
米ネバダ州ラスベガス出身

サンディエゴ大学附属高校3年時にリーグのベストナインに選ばれ、96年のドラフトでマリナーズから59巡目で指名されるも契約せず、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学。2年からはロサンゼルス・ピアース・カレッジで過ごし、州とカンファレンスのベストナインに名を連ねた。98年には再びドラフトでレンジャーズから3巡目で指名されたが、これも契約には至らず、南カリフォルニア大学に入学し、パシフィック・テン・カンファレンス最優秀投手を受賞。
そして99年のドラフトで アスレチックスから1巡目(全体9位)指名を受けてようやくプロ入りを決断。 翌2000年7月22日に早くもメジャーデビューを果たすと、この年は7勝、防御率2.72を記録して新人王投票で6位にランクイン。 01年は開幕から先発ローテーションに定着し、リーグ6位の17勝、同8位の防御率3.49、同4位の205奪三振、同3位タイの被打率.230をマークして ティム・ハドソン マーク・マルダーと共にリーグ屈指の先発3本柱を形成し、翌02年には23勝で最多勝、防御率2.75と182奪三振はリーグ3位、勝率.821は90年にボブ・ウェルチが記録した.818を抜いて球団新記録を樹立するなどベストピッチングを披露し、オールスター初出場、さらに86年の ロジャー・クレメンスと並んで史上最年少(24歳)でサイ・ヤング賞を載冠した。 03年、自己最多の231.2イニングを投げて14勝、防御率3.30をマークし、チームを4年連続でポストシーズン進出に導いたが、「“マネーボール”ではポストシーズンで勝てない」と言われるままに終わってしまった。 04年も連続の二桁勝利(11)を4年に延ばしたが、自己ワーストの防御率、被打率、被安打、失点、自責点、被本塁打を浴びるなど不本意なシーズンを送り、翌05年は、オフに“三本柱”のティム・ハドソンとマーク・マルダーが去り、名実共に絶対的なエースと期待されたにも関わらず、自己ワーストの13敗を喫するなど精彩を欠いたものの、それでもリーグ2位の被打率.221、同3位の228.1イニング、同5位の171奪三振をマークしてなんとか面目を保った。 06年はリーグ3位の221イニング、同8位タイの16勝、同10位の防御率3.83を記録し、ポストシーズンでは自身初のリーグ優勝決定シリーズまで駒を進めたが本来のピッチングが出来ず、チームも敗退。


オフにFA権を行使して同じベイエリアの ジャイアンツと投手史上最高額(野手を含めると歴代6位)となる総額1億2600万jの7年契約を結んで移籍したが、自身初の負け越しとなる11勝13敗、キャリアワーストの防御率4.53と散々のシーズンを過ごした。


ストレートはメジャーでもかなり遅い方だが、球の出所が見づらい投球フォームと変化球との組み合わせで打者を打ち取れる最高級左腕。決め球は、いまや代名詞ともなった“12 to 6カーブ”と言われる縦に大きく割れるカーブ。最大の長所は健康面での不安とは無縁のためシーズンを通してローテーションを守れること。

(C) Champions
07.12.11* Update

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