13歳の頃からニューヨークで育ち、
91年にドラフト1巡目13位で指名されて、ジョージワシントン高校から
インディアンスへ入団。
95年、2Aと3Aで通算打率.333、31本塁打、115打点を挙げ、
野球専門誌「ベースボール・アメリカ」が選ぶ最優秀マイナーリーガーに選出された。
95年9月にメジャーデビューして以降は平均して、打率3割、30本塁打、100打点をマークし、95年〜99年の地区5連覇に 主砲の ジム・トーメや リードオフマンの ケニーロフトン、 エースの バートロ・コロン、 ロベルト・アロマーらと共に大きく貢献。 98年には自己最高の45本塁打、145打点を記録。 同年に行われた日米野球では、ブルージェイズの カルロス・デルガド 外野手と共にMVPを獲得。 99年には、自己最高を更新する165打点で初のタイトルとなる打点王に輝いた。 「右のベーブ・ルース」とも呼ばれた大打者 ジミー・フォックス が、38年に175打点を記録して以来、 実に61年振りとなる160打点以上の成績であった。 他にも44本塁打はリーグ3位、 131得点は同4位、長打率.663は同1位など高いレベルでバランスの取れた成績を挙げ、 この年から制定されたハンク・アーロン賞の最初の受賞者となった。 2000年は、打率.351でリーグ3位、長打率.697では2年連続でリーグ1位。 01年、「これ以上ヤンキースが勝つのは見たくない!」と言い放って、 レッドソックスと8年総額1億6000万jで契約合意。 移籍以降も打率3割・30本塁打・100打点をクリアし、 02年には打率.349で首位打者、03年はチームメイトのビル・ミューラーに次ぐリーグ2位の打率.325、 04年には43本塁打で本塁打王を獲得するなど打撃主要3部門の全てを獲得したことで三冠王は手の届くところにあるメジャー最高クラスのバッター。 得点圏打率や通算満塁本塁打数15本という数字がチャンスの強さを物語っている。 なかでもポストシーズン通算13本塁打は、 ミッキー・マントル 、レジー・ジャクソン (各18本)、 ベーブ・ルース (15本)に次ぎ、歴代4位。
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