John Smoltz
[John Andrew Smoltz]
Atlanta Braves
(投手/右投右打/背番号:29)

1967年5月15日生
米ミシガン州出身


85年、地元の タイガース からドラフト22位で指名されて入団。 1年目はルーキーリーグ、2年目は1Aでプレイしたが、際立った成績は収められずに終わる。

しかし、150`台のストレートに切れのいいカーブ、スライダーの将来性を高く買われ、36歳のドイル・アレキサンダー投手との交換トレードで ブレーブス へ加入した。
移籍2年目の1988年後半にメジャー昇格を果たし、翌89年に29試合の先発で12勝11敗、防御率2.94をマークして花開き、さらに球団史上最年少となる22歳でオールスター出場も果たした。 90年に14勝(11敗)を挙げるが、翌91年は前半戦に2勝11敗とスランプに陥ったことで、心理治療により精神コントロールの術を取得して、後半戦には12勝2敗と盛り返し、前年まで3年連続地区最下位だったチームを一気にワールドシリーズまで導いた。 ポストシーズンでは、リーグチャンピオンシップシリーズで胴上げ投手となり、ワールドシリーズでは世界一を賭けた最終第7戦に先発。 ツインズのジャック・モリス投手との投げ合いで始まり、9回1アウトで降板するまで無失点に抑える好投を見せたが、後続が打たれて延長の末に惜しくも破れてしまった。
92年、先発35試合で246.2イニングを投げ、15勝12敗、自己最高の防御率2.85、215奪三振を挙げて、初タイトルとなる奪三振王を獲得。 翌93年には、カブスからFAで“精密機械” グレッグ・マダックス 投手が加入し、生え抜きの トム・グラビン 、スティーブ・エイバリーと共にメジャー屈指の投手王国が完成。
96年、2試合目の登板で勝利投手になってから連勝街道をひた走り、早くも5月24日には二桁勝利に到達。 これは1904年5月22日にジョー・マッギニティ(元ジャイアンツ)がシーズン10勝を挙げて以来、実に92年振りの最速記録であった。 結局、連勝は「14」まで伸び、このシーズンは最終的に24勝8敗、防御率2.94(リーグ4位)、276奪三振をマークして最多勝奪三振王、そして自身初のサイ・ヤング賞の栄誉に輝いた。 翌97年は15勝12敗と、サイ・ヤング賞を獲得した投手としては物足りない成績に終わったが、打率.228でシルバースラッガー賞を受賞。
98年のポストシーズン、ディビジョンシリーズ第1戦で勝利してポストシーズン新記録となる11勝目をマーク。
2000年は、肘の手術でシーズンを棒に振り、復活を期した翌01年は、先発から自身の希望とは違うクローザーまで務め、11回のセーブ機会で10セーブを挙げた。 オフにFAとなり、先発を希望していたこともあって移籍は確実と思われていたが、チーム方針に従うという形で3年総額3000万jで残留を決めた。
開幕からクローザーに回った02年は、75試合の登板でいきなりナ・リーグ年間最多セーブ記録となる55セーブ(3勝2敗、防御率3.25)を挙げてセーブ王、サイ・ヤング賞投票では3位の評価を得て完全復活を遂げただけでなく、メジャーを代表するクローザーの仲間入りを果たした。
03年も開幕から着実にセーブを積み重ねていたが、8月に右肘痛の怪我で故障者リスト入り。 9月20日に復帰し、最終的に62試合の登板で、ドジャースの エリック・ガニエ 投手の55セーブに次ぐリーグ2位の45セーブ(0勝2敗、防御率1.12)をマークしたほか、選手が選ぶ「プレイヤー・チョイス・アワード」で、地元地域に高い貢献を示した選手に贈られるマービン・ミラー賞も受賞した。
チームの11年連続(94年はストライキのため中止)地区優勝に貢献。



Rookie Cards - 1989年
Bowman $.40〜1/Donruss $.40〜1/Fleer $.40〜1/Score $.40〜1/Topps $.40〜1/ Upper Deck $1.50〜4
by Beckett 03.10

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