Jason Schmidt
[Jason David Schmidt]
Los Angeles Dodgers
(SP/右投右打/背番号:29)

1973年1月29日生
米アイダホ州ルイストン出身


ケルソ高校時代の91年、ワシントン州の年間MVPとオール州のMVPを受賞し、アリゾナ大学から奨学生として誘いを受けるが、それを蹴ってドラフトで8巡目指名を受けたブレーブスへ入団。 95年の開幕メジャー枠に滑り込んだが、当時のチームはグレッグ・マダックストム・グラビンジョン・スモルツを中心としたメジャー屈指の投手王国であったため、たった9試合しか登板出来ず2勝2敗、防御率5.76とあまり活躍出来ずに3Aへ降格。しかし、3Aでは19試合の登板で8勝6敗、防御率2.25と奮起。


96年、開幕こそマイナーだったが、すぐにメジャーに昇格し、投手王国の先発5番手を確保していたが、7月半ばには故障者リストに登録され、優勝を狙うチーム事情でパイレーツのデニー・ネイグル投手の交換要員となってしまい、8月末に放出された。 新チームで迎えた97年は開幕からローテーションに入り、初めてメジャーでフルシーズンを戦った結果、初の二桁勝利となる10勝(9敗)をマーク。 98年には11勝14敗、翌99年は13勝11敗と、3年連続で二桁勝利を記録したが、同じくらいかそれ以上に負け、試合経過と共に集中力が散漫になりピッチングが単調になることや、投球後に体が一塁方向に流れることによるフィールディングの悪さなどが原因で『エース』と呼ぶにはまだ力不足だった。


さらなる高みを目指した2000年だったが、6月半ばに肩の故障で戦線離脱し、そのまま手術に踏み切ったことで残りのシーズンを棒に振り、翌01年5月にようやくメジャー復帰。その後、先発ローテーションの一員として投げていたが、シーズン終了後にFAになることと、チームが優勝戦線から離れたことで、首位まで4ゲーム差の3位にいたジャイアンツへ2対2でトレードされた。移籍前は6勝6敗だったものが、移籍後には速球主体からチェンジアップなどによる緩急をつけた投球に変えたことで7勝1敗と成績が飛躍し、オフには4年総額4100万jの大型契約を勝ち取った。 02年、シーズンで13勝してチーム初のワイルドカード獲得に貢献。13年振りにワールドシリーズまで勝ち進み、自身は2度の先発で1勝を挙げたがエンゼルスに惜敗。 03年は、防御率2.34で初タイトルとなる最優秀防御率を獲得したばかりか、被打率.200と勝率.773でもリーグトップ、17勝(5敗)と208奪三振は同4位、奪三振率9.00は同5位という好成績を残し、サイ・ヤング賞投票では55連続セーブ記録を樹立したエリック・ガニエに次ぐ2位の評価を受けた。 自身の活躍もあり、チームは2年連続でワイルドカードを獲得して進んだプレイオフ地区シリーズで完封勝利するも、チームは敗退。 この年のオールスターでは初出場ながら栄えある先発投手を務めた。 04年、4月から7月にかけて12連勝するなど前半戦だけで11勝、その間の防御率は2.51と、サイ・ヤング賞の筆頭候補に挙げられたが、後半に失速してリーグ5位の225イニングを投げて同2位タイの18勝、イニングを上回る同3位の251奪三振と奪三振率10.0、同8位の防御率3.20、同4位の勝率.720でサイ・ヤング賞の投票では4位に甘んじた。 しかし251奪三振は、63年にホアン・マリシャルが記録した248個を更新するチーム最多奪三振記録となった。 05年、5月に右肩痛で故障者リスト入りするなど調子が出ずに防御率が4点台(4.40)まで落ちたが、オフには1年1000万jで再契約。 06年には、11勝を挙げて6年連続で二桁勝利をマークしたほか、リーグ8位の防御率3.59と180奪三振、同5位の被打率.238をマーク。


同年オフ、バリー・ジトと共にFA市場で注目の先発投手に名前が挙がり、結局、同地区のドジャースと3年総額4700万jという大型契約で移籍。 しかし、4月中盤に右肩炎症を起こしてDL入り。


チェンジアップやスライダー、シンカーを効果的に使えるようになり、成績と共に奪三振率も向上。怪我こそ多いが、何もなければ200イニングと2桁勝利を超えるタフネス右腕。

(C) Champions
07.06.15 Update

[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析