Curt Schilling
[Curtis Montague Schilling]
Boston Redsox
(SP/右投右打/背番号:38)

1966年11月14日生
米アラスカ州アンカレジ出身

86年、ドラフト2巡目で指名されて オリオールズ に入団。
88年9月にメジャーデビューするも、91年にはアストロズへ移籍。


翌92年にはフィリーズへと移籍し、初の二桁勝利となる14勝をマーク。 翌93年も、16勝を挙げる活躍を見せ、チームをワールドシリーズへ導いた。 だが、前年王者のブルージェイズの前に2勝4敗で惜敗して2連覇を許した。 94〜96年は、怪我などで苦しみ目立った活躍も出来ずに終わってしまったが、97年に見事復活し、17勝を挙げると共に初のタイトルとなる奪三振王(319個)を獲得。 翌98年も、リーグ1位の268.2イニングを投げ2年連続の奪三振王を獲得。


2000年シーズン途中に、 トラビス・リー 内野手らとの交換トレードでダイヤモンドバックスへ移籍。 翌01年には、自身初の最多勝(22勝)、防御率2位(2.98)の大活躍で、 チームをリーグ優勝に導き、 ワールドシリーズでは、 ボブ・ブレンリー監督の下、王者ヤンキースに挑み、 ランディ・ジョンソン 投手と共にフル稼働して、創設4年目という史上最速の世界一に貢献、自身は、ジョンソン と共にワールドシリーズMVPを受賞した。
02年、年間30勝のペースで勝ち星を積み上げ、最終的には自己最多の23勝(2位)、316奪三振(2位)を挙げて 2年連続地区優勝の原動力となった。 03年、4月後半に虫垂炎を患い、5月末には打球を右手に受けて骨折するなど災難が続き、結局は8勝9敗に終わった。


03年オフ、ヤンキースとの争奪戦の末、1対4(ケーシー・フォサム投手、ブランドン・リオン投手、マイナーリーガーのホルヘ・デラロサ投手、マイケル・ゴス外野手)の交換トレードでレッドソックスへの移籍を決断した。 これで、 ペドロ・マルチネス デレック・ロー 両投手と共に“20勝トライアングル”が完成し、メジャーでも屈指の先発投手陣となった。 入団記者会見での「ヤンキースは嫌いだ!」の発言は、とても印象的だった。
04年、自身3度目の20勝となる21勝で最多勝を獲得し、防御率3.26など衰えを知らない活躍を見せてサイ・ヤング賞投票では次点にランクした。ポストシーズンでは、足に血を滲ませながらの熱投で3勝をマークし、 アレックス・ロドリゲス三塁手を補強したヤンキースを破り、チームを86年ぶりの世界一に導いた。

オールスター出場3度(97、99、02年)。


イニングの間に自分でメモを取る緻密野球で知られ、家のパソコンには膨大なデータが管理されている。 80〜90年代は、チームの状況もあり、勝ち星に恵まれなかったが、30代後半になった21世紀は、チームメイトの ランディ・ジョンソン と熾烈なタイトル争いを演じ、 驚異的なペースで数字を伸ばしている。

(C) Champions

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