三人兄弟の真ん中として生まれ、9歳の時に実父が家を去り、母ルアーズがいくつもの仕事をしながら育てられた経緯を持つ。
マイアミウェストミンスター・クリスチャン高の3年間で打率.419、17本塁打、70打点を残し、 93年のドラフトで全体1位を受けて マリナーズ へ入団。 翌94年7月8日には、18歳という若さでメジャーデビュー。 フルシーズン1年目の96年には、いきなり打率.358を打って、 史上3番目の若さ(21歳35日)で首位打者に輝いた。それと同時に、メジャートップの二塁打54本、リーグトップの141得点、 そして1958年に アーニー・バンクス が記録した遊撃手記録の379塁打数に並び、 他に36本塁打、123打点、215安打を記録し、レンジャースの ホアン・ゴンザレス 外野手に次いでMVP次点にランクインした。 98年には、42本塁打と46盗塁(リーグ4位)をマークして、 ホセ・カンセコ 外野手、 バリー・ボンズ 外野手以来となる史上3人目の「40-40」まで達成してみせた。 その年には他にも、213安打(リーグ1位)、124打点(同5位)、123得点(同3位)をマーク。 2000年には、25歳9ヶ月という史上4番目の若さで通算200本塁打をクリアしたばかりか、 134得点でリーグ2位、長打率.606で5位。 01年、全米中の注目を集めたFA騒動は、 レンジャース と空前絶後の10年総額2億5200万j(約302億4000万円)という契約で決着した。 移籍1年目の01年は、遊撃手としては史上最多の52本塁打を放ち、初の本塁打王を獲得。 翌02年には、さらにその記録を57本に更新して2年連続本塁打王& ハンク・アーロン賞となり、 同時に自己最多の142打点を稼いで打点王となり、わずか8年余りのキャリアの中で打撃主要3部門のタイトルをすべて手中に収めた。 それに加え、389塁打数はメジャー1位、125得点はリーグ2位、そして初のゴールドグラブ賞を獲得したが、またもMVP投票ではアスレチックスの ミゲル・テハダ 遊撃手に次いで次点に終わった。 03年4月、史上最年少の27歳249日で通算300本塁打に到達し、 ベーブ・ルース 以来6年連続40本塁打以上を達成し、3年連続の本塁打王を獲得、チームは地区最下位ながら、ついにMVPの栄冠に輝いた。 04年2月、ヤンキースの アルフォンソ・ソリアーノ 二塁手(+マイナー選手1人)との交換で ヤンキース へ移籍し、再び世間を驚かせた。だが、ヤンキースのショートには、「ヤンキースの象徴」とも言われる デレック・ジーター がいるため、サードへのコンバートを了承しての移籍となった。 現在、5年連続41本塁打以上、111打点以上、110得点以上というハイレベルな数字を継続中。 99年を除いて96年から打率3割をキープ。 カル・リプケン Jr. から始まった「超攻撃的大型遊撃手」の時代の中でも別格で、 デビュー当時から「末は史上初の“50-50” か4割打者、そうでなければ三冠王」とまで言われて嘱望され続けてきた。
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