Troy Percival
[Troy Eugene Percival]
Tampa Bay Rays
(CL/右投右打/背番号:??)

1969年8月9日生
米カリフォルニア州フォンタナ出身

カリフォルニア大学リバーサイド校から、90年にドラフト6巡目指名を受けて エンゼルス入団。 入団時は捕手だったが、強肩を生かすために投手へ転向し、95年4月26日にメジャーデビュー。この年は62試合に登板して3勝3セーブ、防御率1.95の好成績をマークし、新人王投票では4位に入って信頼を勝ち取ると、翌96年4月に4年契約を提示されて契約延長。 開幕からクローザーに就任した同年は、リーグのリリーバーの中で3位の防御率2.31、同4位の36セーブを挙げたばかりか、95年にリー・スミスが記録した.902を抜いて球団新記録となるセーブ成功率.923を樹立し、初のオールスターとチーム最優秀選手に選出された。オフには日米野球のメンバーに選ばれて来日もしている。 97年は右肩の故障で1ヶ月半もの間を故障者リスト入りして27セーブに終わったが、翌98年は、91年にブライアン・ハービーが記録した46セーブに次ぐ球団史上歴代2位となる42セーブをマーク。 99年には、球団タイ記録の19連続セーブを記録するなどリーグ6位タイの31セーブをマークしてオールスターに選出されるも登板の機会はなかった。 2000年も32セーブを挙げ、翌01年は自身が持つ球団記録を更新するセーブ成功率.929、リーグ4位の39セーブを記録して、チームの救援投手史上最多となる4度目のオールスターに選出され、オフに2年の延長契約を結んだ。 02年、リーグ3位タイの40セーブを記録してワイルドカード獲得に貢献すると、自身初のポストシーズンでは、 ロブ・ネンに並ぶポストシーズン記録の7セーブを挙 げて球団史上初の世界一を見事に締め括った。 03年は、リーグ5位の33セーブを挙げて、フランチャイズ記録の登板数(527)とセーブ数(283)を樹立し、翌04年はリーグ4位の33セーブを挙げて、7年連続30セーブ、自身が持つ球団のセーブ記録を316セーブまで伸ばした。


しかしオフにFAとなると、成長著しい若手リリーフ右腕“K-Rod” フランシスコ・ロドリゲスの台頭もあって、 タイガースと2年総額1200万jで契約。しかし、05年は開幕から不調に苦しみ、5月には右腕屈筋裂傷でDL入り、7月に再びDL入りしてシーズンを終えた。 翌06年に入っても右肩の故障が癒えず、春季キャンプでマイナー選手に本塁打を打たれたことで引退を決意。


その後は古巣エンゼルスでスカウトや臨時インストラクターとして働きながらコーチの勉強をしていたが、07年にエンゼルスでチームメイトだった ジム・エドモンズやアダム・ケネディらに誘われ、 カージナルスとマイナー契約。 6月28日、約2年ぶりにメジャー復帰を果たし、リリーフとして34試合に登板して3勝、防御率1.80をマーク。


オフの11月、 レイズと2年総額800万jで契約し、再びクローザーに挑戦する。


全盛期は100マイルの剛速球で打者を薙ぎ倒し、イニングを大きく上回る奪三振をマークしたパワーピッチャーだった。

(C) Champions
07.12.15* Update

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