ジャイアンツ所属【ロブ・ネン】
Robb Nen
[Robert Allen Nen]
San Francisco Giants
(投手/右投右打/背番号:31)

1969年11月28日生
米カリフォルニア州出身


父ディック・ネンは、63〜70年までドジャース、セネタース、カブスで一塁手として活躍した。 そんなこともあり自然と野球を始め、高校では野球とフットボールをプレイ。 当時のチームメイトには、後にメジャーでもチームメイトになる J.T.スノウ 一塁手などが在籍していた。

そして、87年のドラフトでレンジャースから32位指名を受けて入団。 100マイル近いファストボールを武器にルーキーリーグでは先発として登板し、89年に1Aで7勝4敗、防御率2.41をマーク。 しかし多くの怪我に苦しめられ、90年に2度、91年に3度、そして92年には4月末からシーズン終了後まで故障者リスト入りするなど、3シーズンに渡って満足のいかないシーズンを送る苦悩な日々を過ごした。


93年、開幕メジャーに滑り込み初勝利を挙げたが、6月に再び右肩を痛めて故障者リストしてしまい、3Aで再起を図っていた7月には、クリス・カーペンターとの1対2の交換トレードでマーリンズへ放出された。 しかし94年、抑えのブライアン・ハービーの負傷により、シーズン途中からクローザーに回り、15セーブ機会を全て成功し、翌95年は開幕からクローザーを務め、23セーブを挙げた。
96年は、75試合に登板してリーグ6位の35セーブに加え、防御率1.95、そして83イニングを投げて92奪三振をマークし、メジャーを代表するクローザーの仲間入りを果たした。 97年も、ドジャースの ジェフ・ショウ 投手に次ぐリーグ2位の成功率でリーグ6位の35セーブをマークし、ワイルドカードながらチームをワールドシリーズまで導いた。 そして、強力打線を誇るインディアンスを相手に2セーブを挙げて、球団創立5年目の世界一に貢献した。


しかし、緊縮財政による問題もあってオフにジャイアンツへ放出されたが、98年もリーグ3位の40セーブ、防御率1.52、110奪三振を挙げて、初のオールスター出場を果たすなど変わらない成績を挙げた。 翌99年もリーグ5位の37セーブを挙げたが、防御率は3.98まで悪化し、シーズン終盤に右肘の手術を決断。 2000年、怪我の回復状況が不安視されたものの66試合の登板でリーグ3位タイの41セーブ(4勝3敗)、防御率1.50を挙げてサイ・ヤング賞投票では4位の評価を得た。 そして、翌01年には防御率は3.01ながら45セーブを挙げて、初のタイトルとなるセーブ王を獲得。 02年には、リーグ5位の43セーブを挙げて、チームをワイルドシリーズまで導いたが、主砲の バリー・ボンズ 外野手が厳しい四球攻めに合い、エンゼルスに3勝4敗で惜敗した。


03年は古傷の再発でシーズンを棒に振ってしまったが、150`台後半の速球と140`以上の高速スライダーで、イニング数より多い三振を奪うメジャーでも屈指のクローザーで、96年から7年連続で30セーブ以上をマークした実績を誇る。


Rookie Cards - 1990

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