Matt Morris
[Matthew Christian Morris]
Pittsburgh Pirates
(SP/右投右打/背番号:35)

1974年8月9日生
米ニューヨーク州ミドルタウン出身


シートン・ホール大時代に「オール・アメリカ 1stチーム」やアメリカ代表に選出されて注目を集めると、95年のドラフト会議では1巡目全体12位という高い順位でカージナルスから指名されて入団。 97年4月にメジャーデビューを飾ると、メジャー新人トップとなる防御率3.19と149奪三振をマークしたほか、12勝を挙げて、スポーティング・ニュース選出の最優秀新人投手賞を受賞し、新人王の投票ではスコット・ローレンに次ぐ次点にランクインする華々しいスタートを切った。 しかし、翌98年は右肩の負傷で二度の故障者リスト入りをしてしまい、99年には右肘を痛めて“トミー・ジョン手術”を受けて全休するなど、2シーズンは故障に苦しんだ。 長期のリハビリを経て迎えた2000年は、大怪我からの復帰直後だったためリリーフに回り、31試合の登板でメジャー生活で初めてセーブ(4セーブ)を記録。自身初のポストシーズンでは、リーグ優勝決定戦まで進み、4試合に登板。 01年から先発ローテーションに復帰すると、オールスター初出場を飾るなど春先から好調を維持し、最終的に球団では70年のボブ・ギブソンが記録した23勝に次ぐ22勝を挙げて、カート・シリング最多勝のタイトルを分け合った。また、防御率3.16、185奪三振をマークしたほか、本拠地ブッシュ・スタジアムでの同一シーズン最多記録となる15勝を記録して、「ベースボール・ウィークリー」や「スポーティング・ニュース」、選手が選ぶカムバック賞に選ばれたばかりか、サイ・ヤング賞投票で3位、MVP投票では14位となって一気にエースとしてブレイク。 02年シーズン終了後にFA権を取得することになっていたが、エースの評価をされて3年2900万jで契約を延長。 初の開幕投手を任された02年は、6月22日に急死した親友ダリル・カイルを偲び、帽子に「DK57」と刻みながらプレイして17勝、防御率3.42をマークして戦友を弔い、2年連続で開幕投手に指名された03年は、球団では90年のボブ・テウクスバリー以来となる2試合連続完封を記録するなどリーグトップの3完封をマークして11勝8敗、防御率3.76とエースの役目を果たした。 04年、キャリア最多となる35本の本塁打、116失点を浴び、キャリアワーストの防御率4.72と振るわなかったが、15勝を挙げてメジャー最高勝率での地区優勝に貢献。しかし、ポストシーズンでも本来のピッチングが取り戻せず、合計で2敗、防御率5.91とまったくいい所がないまま終わり、破竹の勢いでワールドシリーズまで進出したチームもレッドソックスにスイープされて涙を呑んだ。 05年は前半戦だけで8連勝を含む10勝をマークし、8月には通算100勝に到達するなど14勝(10敗、防御率4.11)を挙げて5年連続2桁勝利を達成。


オフにジャイアンツと3年総額2700万jの契約を結んで移籍したが、06年はリーグワースト2位タイでキャリアハイの15敗を記録したばかりか、自己最低の防御率4.98、218被安打、123失点、115自責点と最悪のシーズンとなった。


07年7月のトレード最終日に若手主体で形成されている投手陣の指南役を期待され、若手外野手ラジャイ・デービスと後日発表の選手との交換トレードでパイレーツへ移籍したが、翌08年には4敗、防御率9.67と振るわず、開幕からわずか1ヶ月で戦力外通告を受け、その3日後に現役引退を表明した。


全盛期はキレ味抜群のカーブを武器に常に安定した成績で常勝軍団のエースとして君臨した。

08.05.12* Update
(C) Champions

[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析