90年に
ヤンキースからドラフト22巡目の指名を受けたが、
契約がまとまらなかったためにテキサス州のサン・ジャシント北短期大学へ進学。
しかし、プロへの憧れが消えることはなく、91年にドラフト外でヤンキースとの契約にこぎつけた。
マイナーリーグで着実に実績を残し、95年にメジャーへ昇格。
その年の5月に、一度は
マリアノ・リベラ
投手との交換でマイナーへ降格するもすぐに昇格し、
この年は26試合の先発を含む31試合の登板で12勝9敗、防御率4.17を挙げて、
新人王争いでツインズの
マーティン・コルドバ
外野手、エンゼルスの
ギャレット・アンダーソン
外野手に次ぐ3位に食い込む活躍を見せた。
96年は35試合に登板して21勝8敗、防御率3.87という成績で最多勝を獲得。
サイ・ヤング賞の投票では、ブルージェイズのパット・ヘントゲン投手に次ぐ票を集め、一躍、リーグ有数の左腕投手として注目を集めた。
ポストシーズンではワールドシリーズまで進み、第1戦ではKOされるも、第5戦ではブレーブスの
ジョン・スモルツ
投手と投げ合って1対0で辛勝し、18年振りの世界一に輝いた。
翌97年も、
ロジャー・クレメンス
、パット・ヘントゲン
の264.0回に次ぐリーグ2位の240.1回を投げ、
リーグ3位の18勝(7敗)、リーグ4位の防御率2.88を挙げた。
98〜00年の3年間では、49勝を挙げてワールドチャンピオン3連覇に貢献。
なかでも00年は、204.2回を投げてリーグ3位の19勝をマークしている。03年には、ブルージェイズの
ロイ・ハラデイ
投手の22勝に次ぐ2位、キャリア2度目の20勝となる21勝に到達するなどして、最優秀左腕投手に贈られる「ウォーレン・スパン賞」を初受賞。
その年のポストシーズンで3勝を挙げて通算13勝に到達し、ブレーブスの
ジョン・スモルツ
投手が持つメジャー記録に並ぶも、
ワールドシリーズではマーリンズの前に2勝4敗で涙を呑んだ。
切味鋭いカーブとスライダー、そして核弾頭泣かせの牽制を武器に、毎季200イニング、二桁勝利を挙げ、大物投手にひけをとらない成績を挙げ、 生え抜きとして「打たれ強い投手」「使い減りしない投手」という高い評価を受けている。 オフにFAとなったが、チームの対応が遅いことに不信感を募らせ、地元に近い アストロズと3年総額3150万jで契約した。
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