Scott Kazmir
[Scott Edward Kazmir]
Tampa Bay Devil Rays
(SP/左投左打/背番号:19)

1984年1月24日生
テキサス州ヒューストン出身


サイプレス・フォールズ高校時代、1シーズンで75イニングを投げて防御率0.37、175奪三振という当時の全米高校記録を樹立。高校通算で4試合連続を含む6度のノーヒッターをマークするなど数々の伝説を残し、01年には現チームメイトのB.J.アップトンらと共に世界大会に出場し、銀メダル獲得。
そして02年、ドラフト1巡目(全米15位)で指名されて メッツに入団。野球専門誌「Baseball America」ではマイナーの中でトップの左腕投手に支持された。 03年、全てのマイナーリーガーの中でトップの奪三振率11.94を残し、「Top Prospect 100」では11位にランクイン。


2Aでプレイしていた04年7月、即戦力投手を求めていたチーム事情に巻き込まれる形で、ビクター・ザンブラーノとバートロム・フォーチュナート両右腕との2対2(マット・パターソン)の交換トレードで デビルレイズへ移籍。ホセ・レイエス遊撃手やデビッド・ライト三塁手と並んで期待の超有望株の放出に、メッツ・ファンの非難が殺到した。この時の放出理由の一つは「体格や投球フォームが故障を招きやすい」ことだった。 同年8月23日に球団最年少となる20歳7ヶ月でメジャーデビューし、翌05年にはリーグ4位の174奪三振をマークする一方、リーグ最多の100与四球を記録するなど若さを露呈したが、防御率は3.77と及第点の数字を残した。 06年、チーム史上最年少で開幕投手を務め、前半戦だけで10勝を挙げて、リーグ2位の125奪三振をマークしたが、7月下旬に左腕の炎症で故障者リスト入り。8月に復帰したものの、3試合投げたところで再発し、最終的に10勝、防御率3.24、163奪三振でシーズンを終えた。規定投球回数に満たなかったとはいえ、奪三振率10.14 は、リーグ奪三振王ヨハン・サンタナの9.44をも上回った。


大きく曲がるスライダーで狙って三振を奪えるようになり、06年は144.2イニングを投げて163個もの奪三振を記録。年々、コントロールの精度が増し、9イニング当たりの四球率は4.83だった05年から、翌年は3.24まで落とし成長の跡を窺わせている。
06年は背番号「26」だったが、怪我をしたため、高校時代から愛着のある背番号「19」に戻した。

(C) Champions
07.06.02 Update

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