85年、ドラフト2巡目で指名され、南カリフォルニア大から
エクスポズ
へ入団。
88年9月にメジャーデビューし、翌89年シーズン途中に マリナーズ へ移籍。 92年までは制球難に悩み(90〜91年は与四球数リーグ1位)、 勝った数だけ負けるという平凡な投手で、デビューから5年間で 49勝48敗に終わった。 しかし、93年には19勝8敗、防御率3.24、308奪三振(リーグ1位)、10完投3完封の好成績を残し、 92〜95年には4年連続奪三振王を獲得。 そして95年には、18勝2敗、防御率2.48、294奪三振で最優秀防御率と奪三振王に輝き、チーム史上初、自身としても初のサイ・ヤング賞に輝き、チーム創設以来初の地区優勝に導いた。 また、同時にメジャー記録となる9イニングの奪三振率12.35、ア・リーグ記録の勝率.900も記録。 96年は、怪我でシーズンの半分を棒に振ってしまうが、97年には当時ブルージェイズの ロジャー・クレメンス 投手の21勝、292奪三振に次いで2位の20勝(4敗)、291奪三振に加え、自身最高の防御率2.28でサイ・ヤング賞次点、チームを2度目の地区優勝に貢献した。 98年は9勝を挙げた後、7月にFAとなる前に放出を計画したチーム事情により、 フレディ・ガルシア 投手、カルロス・ギーエン遊撃手ら3選手との交換トレードで アストロズ へ移籍して10勝を挙げ、 計19勝11敗、防御率3.28、329奪三振(メジャー1位)をマーク。 99年、FAで ダイヤモンドバックス と4年総額5240万j(投手2番目、全体3番目)で合意し、同年シーズンは自己最高の271.2イニングを投げ、 17勝9敗、防御率2.48、自己最高の364奪三振を挙げ、最優秀防御率と 奪三振王を獲得し、2度目のサイ・ヤング賞を受賞。 この活躍もあってチームは、創設2年目にして100勝を挙げて初の地区優勝。 翌2000年も、19勝7敗、防御率2.64、347奪三振で奪三振王と共に2年連続3度目のサイ・ヤング賞を受賞。 そして01年、同僚の カート・シリング 投手と共にタイトルを争いながら21勝(2位)6敗、防御率2.49、自己最高の372奪三振を挙げ、 3度目の最優秀防御率と3年連続7度目の奪三振王で、 3年連続4度目のサイ・ヤング賞に輝き、 チームを2度目の地区優勝に導いた。 プレイオフでは、フル回転の活躍で勝ち進み、ワールドシリーズでは4連覇を狙う王者ヤンキースに4勝3敗で競り勝ち、 史上最速となる創設4年目にして世界一に輝き、自身はカート・シリングと共に ワールドシリーズMVPを受賞した。 02年、自己最高の24勝(5敗)を挙げて初の最多勝、2年連続4度目の最優秀防御率(2.32)、4年連続8度目の奪三振王(334個)で自身初の投手3冠となり、4年連続5度目のサイ・ヤング賞を自身初の満票で受賞。 現在、96年を除いて90年から二桁勝利、4年連続防御率2点台、5年連続300奪三振を継続しているメジャー屈指の左腕“ビッグユニット”。
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