Paul Konerko
[Paul Henry Konerko]
Chicago Whitesox
(1B/右投右打/背番号:14)

1976年3月5日生
米ロードアイランド州出身


94年ドラフト会議で ドジャースから1巡目全体13番目で指名されてスコッツデイル 大学から入団(当時のポジションは捕手)。 96年から打撃を生かすためにファーストへコンバートすると、打率.300、29本塁打、86打点を記録(AA)して将来性に大きな期待が集められた。当時のチームは、92年から連続で新人王を輩出するなど活気に溢れており、次の『新人王』と大きな注目を浴びた。 97年は3Aへ昇格し、130試合の出場で打率.323、37本塁打、127打点を残し、本塁打王と打点王の二冠に輝き、さらにリーグMVPを受賞し、シーズン終盤にはほとんどが代打での起用だったが念願のメジャーデビューを果たした。


ついに「Top Prospect 100」で2位(1位はベン・グリーブ)の評価を受けるなど満を持して迎えた98年だったが、メジャーの壁にぶつかり、一時はマイナー降格も味わうなど波に乗れずにいた。そんな中、クローザーを求めていたチーム状況もあり、7月にジェフ・ショウ投手との交換トレードで レッズへ放出された。


そして、オフにはマイク・キャメロン外野手との交換で ホワイトソックスへ再び移籍。 新しいユニフォームで迎えた99年は徐々に能力を発揮し、打率.294、24本塁打、81打点をマークして中軸を担うまでに成長。 翌2000年も打率.298、21本塁打、97打点をマークして、チームの地区優勝に貢献。しかし、キャリア初のポストシーズンでは、マリナーズの前に3連敗してしまい、自身も3試合で9打数ノーヒットと振るわなかった。 01年、4月半ばから14試合連続安打を記録。6月には26試合連続出塁するなど156試合の出場で打率.282、32本塁打、99打点と、初めて本塁打が30本を越えた。 翌02年は、チームの低迷に伴い主力選手が次々と放出される中で、自身初の打率3割(.304)、100打点(104)を記録して、初のオールスター出場。 03年は不本意な成績に終わったが、翌04年は自己最高となるリーグ2位の41本塁打、117打点をマーク。 05年は、日本からスピードと小技を兼ね備えた井口資仁が加入し、「スモール・ベースボール」を掲げたチームの中で、主砲として2年連続で40本塁打100打点をクリアし、チームをリーグ最高勝率で5年振りの地区優勝に導いた。 ポストシーズンのリーグ優勝決定シリーズでは2発7打点でシリーズMVPを受賞し、46年振りのリーグ優勝に貢献。そしてワールドシリーズではアストロズをスイープして88年振り3度目のワールドチャンピオンに輝いた。 オフにFAの資格を得たが、チームから5年総額6000万jの大型契約を提示されて残留を決めた。 06年、キャリアハイの打率.313をマークしたほか、ジャーメイン・ダイ外野手、指名打者ジム・トーミ、ジョー・クリーディ三塁手と「30本塁打カルテット」を形成するも、チームは地区3位に終わり、早々と連覇の夢は潰えた。


左右の苦手がなく、得点圏に強く、カーブとスライダーを得意とし、やや外よりに来たボールを左中間方向に運ぶバッティングが出来るクラッチヒッター。
オールスター出場3度(02、05、06年)。

(C) Champions
07.06.10 Update

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