John Lackey
[John Derran Lackey]
Los Angeles Angels
(SP/右投右打/背番号:41)

1978年10月23日生
米テキサス州アベライン出身


アビレーン高校を卒業後、テキサス大学を経て、グレイソン・カウンティ短期大学へ進学し、99年に短大のワールドシリーズに出場。そして同年のドラフトでエンゼルスから2巡目で指名されてプロ入り。 2000年にチームのマイナー最優秀投手を受賞するなど満を持して、02年6月24日にメジャーデビューを果たすと、その年のワールドシリーズでは最終第7戦に先発して93年ぶりに新人勝利投手となって球団初のワールドチャンピオンに貢献した。 翌03年から本格的に先発ローテーションに定着し、いきなり二桁勝利(10)をマークし、続く04年も14勝を挙げたが、被本塁打が多く、防御率4点台と及第点を残した。 しかし、新しいチーム名となった05年は被本塁打が半分近くまで減少したことで、リーグ3位の199奪三振と勝率.737、同5位の防御率3.44に加え、自己最多タイの14勝をマークするなど大きく飛躍。この年は、ポストシーズンでも3試合に先発(0勝1敗、防御率4.41)するなどフル稼動で働き、オフに06年からとなる3年総額1701万jの契約を勝ち取った。 06年も4年連続二桁勝利となる13勝、リーグ3位の190奪三振、同5位の防御率3.56と好投し、開幕投手を務めた翌07年には防御率3.01で初タイトルとなる最優秀防御率に輝いたばかりか、リーグ2位タイの19勝、同4位の224イニング、同9位の勝率.679という好成績をマークして、サイ・ヤング賞投票で3位に入り、故障がちなサイ・ヤング賞右腕バートロ・コロンに代わって完全にエースの称号を手に入れた。


カーブのように大きく縦に変化するスライダーが決め球だが、ストレートも一級品で、高めに伸びのあるフォーシーム、低めに角度のあるツーシームを投げ分けられるパワーピッチャー。
オフ期間は、テキサス州の母校アビレーン高校で実父が監督を務める野球部のコーチを手伝うこともあるという。

(C) Champions
07.12.10* Update

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