高校2年時に打率5割という高打率を記録し、カリフォルニア大学でもショートを守りながら大学ワールドシリーズまで導いた。
そして89年のドラフトで ブルージェイズから20位指名を受けて入団。その年のルーキーリーグで打率.224ながらリーグトップの13本塁打をマーク。 92年4月にデビューを果たしたが、2年連続地区優勝を目指すチーム事情もありデビット・コーン投手獲得のための交換要員として メッツへ移籍。 メッツ時代は大都市ニューヨークの風に合わず本来の力を発揮できないまま、96年シーズン途中に インディアンスへ移籍し、シーズン終了後には ジャイアンツへ移籍した。 これまでユーティリティー・プレイヤーだったがダスティ・ベイカー監督がセカンドに固定したことで打撃が開花。 移籍1年目の97年に29本塁打・121打点、翌98年には打率.297・31本塁打・128打点と好成績をマーク。99年は怪我もあって打率.290・23本塁打・101打点だったが3年連続で100打点をクリアした。 そして2000年、前半戦だけでチーム記録となる82打点を叩き出し、初のファン投票でオールスターにも選出された。この年はリーグ5位の打率.334、リーグ4位の125打点を記録して、セカンドとして84年の殿堂入りしたライン・サンドバーグ以来となるナ・リーグMVPを初受賞し、チームを地区優勝に導いた。しかも、4年間で稼いだ475打点は、ロジャース・ホーンスビーが22〜25年の4年間に達成した472打点を塗り変えるメジャー記録だった。 01年は打率.298・22本塁打・106打点で5年連続100打点は継続したがMVPの翌年にしては物足りない数字だったが、翌02年は自己最多の37ホーマーだけでなく、メジャーのセカンドとして史上初の6年連続100打点、自身2度目の打率3割を挙げ、2年連続MVPの バリー・ボンズ、リーダーのリッチー・オウリリアらと共にリーグ優勝を経験。ワールドシリーズのエンゼルス戦では3ホーマー7打点で最終戦までもつれ込む大熱戦の末に3勝4敗で惜敗。 オフの02年12月、 アストロズと2年契約し、移籍1年目の03年こそ打率.297・22本塁打・93打点で100打点の連続記録が途切れたが、“ロケット”ロジャー・クレメンス、左腕アンディ・ペティット、万能選手カルロス・ベルトランを加えた翌04年は27本塁打・107打点を挙げて ワイルドカード獲得に貢献。リーグ優勝決定戦ではサヨナラ本塁打を放つ3ホーマー7打点と活躍したがカージナルスの強力打線の前に最終戦で沈んだ。 オフの04年12月、本塁打王 エイドリアン・ベルトレ、 ショーン・グリーンら大砲が抜けた ドジャースと2年契約。 オールスター4度出場(99〜01、04年) |
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