Jason Isringhausen
[Jason Derik Isringhausen]
St.Louis Cardinals
(CL/右投右打/背番号:44)

1972年9月7日生
米イリノイ州出身


高校時代は強肩強打の野手として注目を集め、ルイス・クラーク大学を経て、91年ドラフト44巡目指名でメッツに入団し、投手に転向。 95年7月にメジャーデビューを飾り、すぐさま先発に定着して14先発で9勝(2敗)をマーク。ほぼ同時期にデビューしたビル・パルシファー、ポール・ウィルソンと共にメディアから「新世代の三銃士」と名付けられ、大きな期待を集めた。 しかし、翌96年は3人揃って不調に陥り、自身も肩や肘、手首と相次ぐ故障で故障者リスト入りを繰り返し、この年は6勝14敗と大きく負け越すと、翌97年は2度の故障者リスト入り、98年はシーズン丸々棒に振ってしまい、「未来のエース」への期待は暴落した。
そんな平凡な先発投手に成り下がった時に転機が訪れる。


99年、トレード期限間際にアスレチックスへ移籍すると、これを機に本格的にクローザーへ転向し、移籍後は8度のセーブ機会全てを成功させ、新たなる一歩を踏み出した。 そして2000年、開幕からクローザーに座り、いきなり33セーブを挙げ、翌01年もに34セーブをマークし、チームのポストシーズン進出に貢献するも、2シーズンとも地区シリーズで敗退。


リーグ有数のクローザーとなった01年オフにFAとなり、数球団の中からカージナルスを選択して4年2700万jで契約。 02年、クローザーとなって初めてのナ・リーグでも32セーブ、防御率2.48と変わらぬ成績を収め、ポストシーズンでも3セーブ、防御率2.25と活躍したが、チームはリーグ決勝シリーズで敗退。 03年は、6月まで出遅れた影響で3年連続30セーブで途切れたが、翌04年には球団タイ記録となる47セーブを挙げてアーマンド・ベニテスと共にセーブ王を獲得。 ポストシーズンでは9試合の登板で3セーブ、防御率3.86を挙げたが、ワールドシリーズでレッドソックスに敗退。 05年も、リーグ5位タイの39セーブ、クローザーに定着してからはキャリアハイの防御率2.14を記録し、2年連続で100勝を挙げた常勝軍団の最後の砦となる絶対的なクローザーへと飛躍を遂げ、オフには、07年までの2年間で最低2575万jという内容で再契約。 06年6月13日、カージナルスで通算161セーブを挙げ、リー・スミスの持つ球団セーブ記録を更新。しかし、ここ5年でワーストのセーブ失敗10、防御率3.55、10被本塁打、38与四球、さらに9月中旬に臀部の筋肉を痛めてシーズンを終えてしまったため、ポストシーズンでは登板出来ず、チームの24年振りの世界一に貢献出来ずにリングをはめた。 このシーズンは制球が定まらない試合がしばしばあり、与四球と被本塁打を多く許す不安定なピッチングが続いたため、来季以降の真価が問われることとなった。


持ち球は95マイルの4シームと縦のカーブ。時折、カッターも投げるが、基本的にはこの2種類で抑えるパワーピッチャー。
背番号の「44」はドラフトで44巡目で指名されたから。

(C) Champions
07.06.22 Update

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