Derrek Lee
[Derrek Leon Lee]
Chicago Cubs
(1B/右投右打/背番号:25)

1975年9月6日生
米カリフォルニア州サクラメント出身


父は日本で活躍したレオン。伯父レロンも日本で活躍し、日本プロ野球の史上最高打率記録保持者(4000打数以上)。その影響で幼少期から日本の野球に親しだという。
そして94年、ドラフト1巡目全体14番目の指名でエル・カミノ高校からパドレスへ入団。 2Aへ昇格した96年には34本塁打、104打点を挙げてMVPを受賞し、リーグと2Aのオールスターにも選出された。 翌97年4月28日に念願のメジャーデビューを飾り、約2ヶ月間で22試合だけ出場した後、3Aに戻って打率.324、13本塁打、64打点をマークして、リーグで9番目のプロスペクトに選出された。


しかし、同年12月に ケビン・ブラウン投手の交換要員3選手の内の1人となり マーリンズに移籍。 ルーキーイヤーとなった98年、リーグ新人2位の74打点、同3位の17本塁打、29二塁打、47四球をマーク。 2000年には28本塁打を放ち、02年まで3年連続20本以上をマークし、02年には自身初の2桁盗塁となる19盗塁とキャリアハイの98四球・95得点も記録。 そして03年には、初の"20-20<Nラブ入りとなる31本塁打・21盗塁、そして初のゴールドグラブ賞を受賞するなど攻守でチームを牽引してワイルドカード獲得に貢献。 ポストシーズンでは17試合で打率.208と決して活躍したとは言い難いが、チームは勢いに乗って勝ち進み、ワールドシリーズではヤンキースを4勝2敗で破って6年振り2度目の世界一に輝いた。


しかしオフの11月、年俸抑制のために韓国人スラッガー、チェ・ヒソップ一塁手とマイナーリーガーとの交換トレードで カブスへ放出されたが、新しいチームでも32本98打点を叩き出して早くも順応した。 翌05年は開幕から三冠王へばく進し、初めてオールスターに出場するなど、最終的に打率.335、199安打、50二塁打、393塁打数、長打率.662でリーグトップ、46本塁打と120得点が同2位、出塁率.418は同4位、そして107打点は同7位という好成績を残し、MVP投票では アルバート・プホルズ、二冠の アンドリュー・ジョーンズに次いで3位にランクイン。打率.335は球団史上4番目のハイアベレージだった。守備でも2年振り2度目のゴールドグラブ賞を受賞。 06年、3月にはWBCアメリカ代表の一員として出場し、4月には5年総額6500万jの延長契約を結んだが、その2週間後に右手首を骨折したことで59試合を欠場し、また3歳の愛娘が先天性の難病で失明したこともあり、復帰後も不調のままシーズンを終えた。その後、NBAセルティックスの共同オーナーなどと、同病気を根絶させ るための「プロジェクト3000」を設立した。

(C) Champions
07.06.10 Update

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