94年にドラフト外で
ホワイトソックスと契約。
初めてのメジャー昇格は入団5年目の99年にまで遅れたが、5月7日にデビューしてからは127試合で新人2位の打率.293、84打点、32二塁打、長打率.463、同3位の144安打、同5位の16本塁打と出塁率.312をマークし、新人王投票で7位(新人王は
カルロス・ベルトラン)にランクイン。
翌2000年から本格的にレギュラーに定着し、初のポストシーズンでは11打席で1安打と散々に終わり、チームも敗退。
その後も中軸として確かな働きを続け、03年には初の30本塁打100打点を越えるキャリアハイの31本塁打、113打点(リーグ6位)、18盗塁、181安打、100得点、35二塁打、311塁打数をマーク。
翌04年は球団新記録の28試合連続安打を記録するなど、再びキャリアハイを更新する打率.305、31本塁打、37二塁打、出塁率.366、長打率.525を記録。
しかしオフには、主砲不在で得点力不足に悩む ブリュワーズへ移籍(交換相手となったのは、この年に盗塁王に輝いた スコット・ポドセドニックと救援右腕ルイス・ビスカイーノ)。 初のナ・リーグに移った05年は3年連続30本塁打、2度目の100打点をマークして初のオールスター出場を果たし、シルバースラッガー賞とチームMVPにも選出され、MVP投票では8位にランクイン。 翌06年は、99年のジェロミー・バーニッツと並び球団タイ記録の前半だけで26本塁打を放つなど量産大勢・に入っていたが、シーズン途中の7月にチームが財政力に乏しくつなぎ止めておくことは出来ないと判断され6選手が動く交換トレードでネルソン・クルーズ外野手と共に レンジャーズに移籍(交換相手はレインス・ニクス、ケビン・メンチ両外野手、守護神フランシスコ・コルデロ、左腕ジュリアン・コルデロ)。 この年は2チームで自己最高の37本塁打、116打点、187安打、19盗塁をマークして2年連続オールスター出場を飾った。 また、この年に35本以上、100打点以上、15盗塁以上をマークしたのは カルロス・ベルトランと2人だけだった。 オフにFA宣言をした結果、数あるビッグオファーの中から アストロズと総額1億jの6年契約で入団。 これまで大きな故障もなく、デビューから本塁打が増え続けている上に、新しい本拠地ミニッツメイド・パークは左中間が浅いため、さらなる高みに向かう“エル・カバーリョ(スペイン語で馬)”。 |
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