高校時代は野球以外にもバスケットボール
やフットボールをプレイ。後輩には、現チームメイトの
ケン・グリフィーJr.
外野手がいる。
ミシガン大学へ進学し、3年間で通算打率.361をマークするなどして、アメリカ代表に2度も名を連ねた。
また、84年のロサンゼルス五輪のアメリカ代表にも選出され、
マーク・マグワイア
内野手や、
トニー・グウィン
外野手、
B.J.サーホフ
、
ウィル・クラーク
内野手らとともに銀メダル獲得に貢献した。
そして、85年のドラフトでレッズから1巡目4位で指名されて入団。翌86年に3Aで打率.329、10本塁打、51打点、19盗塁を残して、シーズン終盤には早々とメジャー昇格を果たした。 初めてフルシーズン活躍した88年は、151試合の出場で打率.296、12本塁打、56打点、40盗塁を記録して、初のシルバースラッガー賞を受賞。 90年、158試合の出場で打率.301、7本塁打、67打点、30盗塁を挙げて、チームの地区優勝に貢献。パイレーツを破って迎えた初のワールドシリーズでは、劣勢と言われながらも名将 ルー・ピネラ 監督(現デビルレイズ監督)に率いられ、ポール・オニールやケン・グリフィー・シニアらと共にアスレチックスをスイープで撃破して世界一に輝いた。この年、自身はシーズン打率.353をマーク。 89〜93年まで5年連続打率3割をマークして、ナ・リーグ遊撃手として40年振りの快挙を達成するなど、若きチームリーダーの地位を確立。6年連続となれば史上初だったが、94年は打率.279に終わってしまった。しかし、この年には初のゴールドグラブ賞を獲得している。 95年、130試合の出場で打率.319、15本塁打、66打点、51盗塁(リーグ2位)を残し、MVP投票では本塁打王と打点王の二冠に輝いたロッキーズのダンテ・ビシェットを抑えてナ・リーグMVPの栄誉を手に入れた。ナ・リーグでショートがMVPを獲得したのは、62年のモーリー・ウィルス以来の快挙だった。 幾多のトレード志願や移籍が世間を騒がしたが、生涯レッズを誓い、2000年8月にはピート・ローズ、デーブ・コンセプシオ、ジョニー・ベンチに次ぐ球団史上4人目の2000本安打を達成。 03年オフには、チームから来季の契約を拒否されたが、その後に1年の再契約。 今までに3度のゴールドグラブ賞、9度のシルバースラッガー賞を受賞し、“オズの魔法使い” オジー・スミス 引退後はナンバー1遊撃手と言われた。
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