高校時代に全米ジュニアチームに選出され、世界選手権での銅メダル獲得に貢献。その活躍もあってフロリダ大学から奨学生としての入学をオファーされたが、98年のドラフトで
レッズから1巡目(全体7番目)で指名されたためプロ入りを決意。
2巡目にはマイナー時代に同室となった
アダム・ダンがおり、メディアはこの両外野手を75年に彗星の如く現れてチームをリーグ優勝に導いたフレッド・リンとジム・ライスに重ね合わせて騒ぎ立てた。
その期待通り、2000年には1Aであわや三冠王という数字を残したばかりか、ホームラン・ダービーでは
アルバート・プホールズと激しい争いを繰り広げ、翌01年は2年連続でチームのトッププロスペクトに選出されるなど順調な成長を遂げていった。
02年、開幕こそ2Aでのスタートだったが、シーズン序盤に
ケン・グリフィーと
ショーン・ケイシーが故障で離脱したため、4月17日にメジャーデビュー。この年は、107試合の出場でリーグ新人トップの打率.315、出塁率.407、長打率.500をマークしたが、8月下旬に左ハムストリングを痛めてシーズンを終えてしまったため、新人王投票ではジェイソン・ジェニングス、ブラッド・ウィルカーソンに次ぐ3位に終わった。
ようやく掴んだメジャーの定位置だったが、その後の3シーズンを度重なる怪我で多くの試合を欠場して十分な力を発揮できない日々を過ごした。
しかし06年7月、8選手が動く大型トレードでフェリペ・ロペスら2選手とともに
ナショナルズへ移籍して中軸を任されると、最終的に安打(142)、二塁打(33)、本塁打(24)、打点(86)、四球(76)でキャリアハイを更新して復調。
翌07年も自己最多の161試合、156安打、35二塁打を記録するなど、怪我さえなければ十分な働きが出来ることを証明してみせた。
決して長距離バッターでないにも関わらず三振と怪我が多いが、選球眼が良く四球を多く選べるため中軸を任されている。
◎Rookie Cards - 1999年 |
Bowman $3〜8↓/Bowman Chrome $12.5〜30/
Bowman's Best $3〜8/Finest $4〜10/
Stadium Club $3〜8/Topps Traded $1.25〜3/
Topps Traded Chrome $3〜8
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by Beckett 03.10
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