Ryan Howard
[Ryan James Howard]
Philadelphia Phillies
(1B/左投左打/背番号:6)

1979年11月19日生
米ミズーリ州セントルイス出身


父はIBMでマネージャー、母はマーケティングをしていたため、双子の兄弟を含め、3人とも大学を卒業させれるほど裕福な家庭で育った。
サウスウエスト・ミズーリ州立大学時代、2年生までは本塁打を連発して全米代表チームに選出され、ドラフト1巡目指名が有力視されていたが、3年次にスランプに陥り成績が急落。そのため3学年終了時に行われた01年ドラフト会議では、どこも食指を伸ばす球団はなく、フィリーズが昔の打撃を期待して5巡目で指名。 しかし03年、フロリダステートリーグでMVPを受賞し、翌04年には2Aと3Aを往復しつつも、46本塁打、131打点を記録。2AではMVPと新人王を同時受賞して、メジャー昇格かと思われたが、一塁にはスター選手ジム・トーミがいたため、05年もマイナーで開幕を迎えた。しかし、シーズン途中にトーミが怪我で離脱したため、代役としてメジャー昇格。その期待通りに、88試合の出場で22本塁打を放って見事にナ・リーグ新人王を獲得。 一時はトレード要員となったが、05年シーズン終了後にGMに就任したパット・ギリックが着任早々に4年の契約が残るチームの主砲をトレードで放出。 メジャーで初のフルシーズンとなった06年は、初めてオールスターに選出され、前日のホームランダービーで優勝するなど勢いに乗り、80年にマイク・シュミットが記録した球団記録を10本上回るナ・リーグ歴代7位の58本塁打、149打点で二冠を獲得。打率.313はリーグ8位。2年目選手のシーズン本塁打記録を更新するなどしてナ・リーグMVPハンク・アーロン賞シルバースラッガー賞を受賞。新人王と2年目でのMVP受賞はカル・リプケンJr.に次いで史上2人目の快挙(同時受賞は75年のフレド・リンと01年のイチローのみ)だった。しかし、メジャー2番目のワースト記録である181三振も喫した(ちなみに、この年の年俸はたった35.5万j)。 オフに行われた日米野球で来日し、6試合で5本塁打を放ちMVPを受賞。


コースに逆らわずに全方向に本塁打を打てるのが量産の理由。特にローボールヒッターで変化球打ちが巧いので、外側の変化球をすくい上げて逆方向のスタンドまで運べる。

(C) Champions
07.05.29 Update

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