高校時代は野球よりフットボールで注目され、全米屈指の強豪オクラホマ州立大、テネシー大などから誘いが来ていたが、それを蹴って、98年のドラフト7巡目指名でロッキーズ入団(契約金は7巡目指名ながら84万j)。本人はフットボールの世界にも惹かれていたが、大学野球の世界でその名を知られたオクラホマ州立大野球チームのヘッドコーチである父トムと、ロッキーズのスカウトである叔父デイブがプロ野球入りを強く勧められたため野球を選択。プロ入り後も強豪大学チー
ムから誘いが来ていたが、まだ1A在籍中の01年、チームから6年総額70万jという異例の契約を提示されたためフットボール界への道を断念した。
03年にアテネ五輪予選の米国代表メンバーに選出されるなどマイナーで順調な成長を遂げ、04年4月にラリー・ウォーカーとプレストン・ウィルソン両外野手の戦線離脱により、一時的な交代要員としてメジャー昇格。
すぐに定着して、最終的に121試合の出場でリーグ新人2位タイの31二塁打、同3位の出塁率.349と65得点、同4位の打率.290、14本塁打、57打点、長打率.488を残し、新人王投票では5位にランクイン(新人王はジェイソン・ベイ)したほか、「ベースボール・アメリカ」と「トップス」のオール・ルーキー・チームに選出された。
完全にレフトのポジションを掴んだ05年は、右手小指骨折で約1ヶ月離脱したものの、打率.307、19本塁打、87打点と全てで前年を上回り、翌06年はリーグ5位の打率.326、119得点、長打率.586、196安打、同9位の114打点、45二塁打、同12位の34本塁打という好成績を収め、自身初となるオールスターにはスタメン出場を果たし、シルバースラッガー賞にも選出された。
その活躍もあって、オフに1年440万jで再契約して迎えた07年、この年のメジャー最速で100安打を突破するなど開幕ダッシュに成功し、首位打者と打点王の打撃二冠に輝き、チームを12年ぶり2度目のプレイオフへ導いた。ポストシーズンではリーグ優勝決定シリーズでMVPを受賞するなど、球団史上初のリーグ優勝に貢献。
ホームラン狙いのバッティングになっていないので、フライよりゴロが多い典型的なラインドライブヒッターであるため打率が良く、二塁打が多い。 |
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