Juan Gonzalez
[Juan Alberto Gonzalez]
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(OF/右投右打/背番号:22)

1969年10月16日生
プエルトリコ出身

貧民街で育ち、86年の16歳の時に レンジャースと契約してプロの世界に足を踏み入れた。 当初は英語が話せず苦労したが、90年に3Aで29本塁打、101打点を挙げて本塁打王打点王を獲得。
89年9月にメジャーデビューを飾ってはいたが、89〜90年の2年間で49試合しか出場できずに5本塁打、19打点に終わっていた。 しかし、91年には142試合に出場して27本塁打、102打点を残して、一気にスタメンの座を掴み、主砲として迎えた翌92年には、23歳という若さで43本塁打を放って本塁打王に輝 き、シルバースラッガー賞も初受賞した。 23歳以下で40本塁打以上をマークしたのは、史上6人目の快挙だった。 翌93年も46本塁打を放ち、2年連続で本塁打王を獲得。
96年、5月に左足の怪我で25試合を欠場したが、打率.314、47本塁打、144打点をマークし、チームを2年ぶりの地区優勝へ導き、首位打者の他に36本塁打、123打点を挙げた マリナーズの アレックス・ロドリゲス 遊撃手を史上2位タイの僅差となる僅か3ポイント差で振り切って初のMVPを受賞。 レンジャースのMVP受賞は史上2人目、プエルトリコ出身の選手としては史上4人目の快挙だった。 ポストシーズンでは、ヤンキースとの地区シリーズで破れるも、16打数7安打で打率.438、5本塁打、9打点と大舞台でも勝負強いところを見せた。 翌97年は、ウィンターリーグで左手親指を痛めた影響で4月を棒に振って133試合の出場に終わったものの、打率.296、42本塁打、131打点をマーク。
98年は開幕から好調で、4月には36打点を挙げて、前年にヤンキースの ティノ・マルチネス 一塁手が記録した35打点を僅か1年で塗り変えるメジャー新記録を樹立。 5月にも35打点を挙げ、史上2人目となるオールスター前までに100打点に到達。 マーク・マグワイア 一塁手と サミー・ソーサ 外野手のホームラン競争に沸いたこの年は、68年にハック・ウィルソンが記録した190打点の更新が期待され、最終的に49年ぶりの157打点を挙げて打点王のタイトルと、打率.318、45本塁打で2度目のMVPにも輝いた。

しかし、99年シーズン終了後のオフにFAとなり、9選手が動く大型トレードで タイガースへ放出された。 移籍1年目の2000年は、腰の故障などもあって115試合しか出場できず打率.289、22本塁打、67打点と、主砲としては散々な成績に終わり、“トルネード”野茂英雄投手らの足を引っ張ることとなった。

それでもオフに8年総額1億4000万jという破格の金額を提示されたが、首を縦に振ることなく、FA権を行使して インディアンスと1年1000万jで合意して移籍。 そこで、出場140試合で打率.325、35本塁打、140打点を挙げて、全盛期に近い成績を収めて周囲を安心させた。

翌02年、モー・ボーン一塁手やロベルト・アロマー二塁手らを獲得したメッツからの誘いを断り、2年間2400万jで 3年ぶりに古巣 レンジャースへ復帰したが、怪我で長期の戦線離脱を余儀なくされ、70試合出場で打率.282、8本塁打、35打点に終わった。

03年もふくらはぎの怪我による影響で不本意な成績となったが、オフにFAとなり、年俸1303万jから450万jという大幅減俸を受け入れて ロイヤルズ と1年契約を結んだ。 03年新人王の エンジェル・ベローア 遊撃手、99年新人王の カルロス・ベルトラン外野手ら を筆頭に、若い選手が揃う成長著しいチームにあって、経験とチャンスに強いバッティングはさらなる躍進への起爆剤になることは間違いない。




Rookie Cards - 1990年
Bowman $.75〜2/Donruss $.50〜2/Fleer $.50〜1.25/Score $.50〜1.25/Topps $.50 〜1.25/Upper Deck $1〜2.50
by Beckett 03.10

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