Ben Grieve
[Benjamin Grieve]
-----
(OF/右投左打/背番号:-)

1976年5月4日生
米テキサス州アーリントン出身

父トム・グリーブは、66年にレンジャースの前身であるセネタースからドラフト1位指名を受け、79年の引退までにメッツ、カージナルスで活躍。その後、フロント入りし、84年からはレンジャースのGMとして働いた。そんな父を見て育ち、幼少時にはレンジャースの本拠地ボールパーク・イン・アーリントンでバットボーイを務めていた。
ジェームス・W・マーティン高校時代には打率.468をマークして、高校ナンバー1の評価を受けた。 そして94年のドラフトで アスレチックス から全体2位の指名を受け、当時としては破格の契約金120万jで契約。こうして、史上初の父子ドラフト1巡目指名という快挙を成し遂げた。 ドラフト指名された94年は、1Aで72試合に出場して、打率.329、7本塁打、50打点を挙げてベストナイン。 97年は2Aで開幕を迎え、14試合連続安打や.355という高い得点圏打率をマークするなどして、最終的に打率.328、24本塁打、108打点を記録。8月には3Aに昇格し、翌9月にはメジャー初昇格を果たした。
その年は24試合に出場し、打率.312をマークして、その片鱗を覗かせた。 翌98年は、前年シーズン途中にカージナルスへ移籍した マーク・マグワイア 一塁手の後継者として期待され、若き主砲 ジェイソン・ジアンビ 一塁手(現ヤンキース)と共に“新バッシュ・ブラザーズ”として、155試合の出場で打率.288、18本塁打、89打点の成績を挙げ、 見事にア・リーグ新人王を獲得。さらに、新人ながらチームから唯一のオールスター出場 を果たした。 99年は、本塁打こそ前年より10本多い28本塁打を放ったが、どっぷり「2年目のジンクス」に陥った。2000年は、打率.279、27本塁打、104打点を挙げ、課題とされていた対左投手も徐々に克服していった。


しかし、01年1月に エンジェル・ベローア 遊撃手とともに交換要員となり、 ジョニー・デイモン 外野手や ジャーメイン・ダイ 外野手らが絡むアスレチックス、デビルレイズ、ロイヤルズ間の三角トレードが成立し、誕生間もな い デビルレイズ へ移籍することになった。 新しいユニホームで迎えた01年は、開幕から調子が上がらず、シーズン途中には主砲の フレッド・マグリフ 一塁手がカブスへ去り、より一層主軸として期待されたが、打率.264、 11本塁打、72打点という不甲斐無い成績に終わった。翌02年も打率.251、19本塁打、64打点と、才能が開花することなく終わり、03年には怪我で55試合のみの出場にとどまった。


そしてオフにFAとなり、03年12月に年俸550万jから年俸70万jの減俸を受け入れて ブリュワーズ と1年契約を結んだ。しかし、シーズン途中に カブスへ移籍。


Rookie Cards - 1994年
Stadium Club Draft Picks $.20↓〜.50↓/Topps Traded $.60↓〜1.50↓
by Beckett 03.10

(C) Champions

[★高収入が可能!WEBデザインのプロになってみない?! Click Here! 自宅で仕事がしたい人必見! Click Here!]
[ CGIレンタルサービス | 100MBの無料HPスペース | 検索エンジン登録代行サービス ]
[ 初心者でも安心なレンタルサーバー。50MBで250円から。CGI・SSI・PHPが使えます。 ]


FC2 キャッシング 出会い 無料アクセス解析