98年、ドラフト5巡目で指名されてマイアミ大学からデビルレイズ入団(当時のポジションはサード)。
99年に2Aで打率.301、22本塁打、78打点の好成績をマーク。サードの守備に難はあったが、リーグトップの長打65本を記録するなど、打撃面では高い評価を受けた。
翌2000年には3Aへと舞台を移し、左投手を苦にする場面もあったが、打率.316、20本塁打、76打点と順調な成長を見せ、8月にはメジャーからコールアップされて、39試合に出場した。
01年は、正三塁手だったベテランスラッガーのビニー・カスティーヤがシーズン途中にアストロズに放出されたため、ジャロッド・サンドバーグとの併用ながら、111試合に出場。しかし、打率.248、8本塁打、45打点と物足りない数字を記録し、守備難もあって3A降格も味わった。
02年は、3Aの開幕戦で目にボールが当たり手術を余儀なくなり、メジャー復帰は5月後半まで出遅れたが、ファーストと指名打者の併用で113試合に出場して打率3割(.313)、20本(23)を越えて中軸打者の位置を確保。
闘将ルー・ピネラを新監督に迎えた03年はロッコ・バルデッリ、カール・クロフォード両外野手が台頭。それに引っ張られる形で全162試合の出場で打率.311、34本塁打、107打点をマークし主砲としてチームを牽引。「30本・100打点」を同時に達成したのは、99年のフレッド・マグリフ以来チーム史上2人目の快挙で、さらに、この年に打撃主要3部門がトップ10に入ったのは4人だけという好成績を残し、オフには3年間1450万jという延長契約を勝ち取った。
若きチームの主砲として迎えた04年は、後半戦に打率.331で帳尻を合わせてチーム3冠王にこそなったが、3割(.297)30本(29)には惜しくも届かず、2年連続で100打点(104)を挙げてなんとか面目を保った。
しかし05年は打撃主要3部門(.261、22本、92打点)で成績を落とし、翌06年7月にはマイナーリーガーのベン・ゾブリスト内野手、ミッチ・タルボット投手との交換でアストロズへ放出された。 そして、オフにFA権を行使して、長距離砲を欠くオリオールズと3年2000万jで契約。 |
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