父と兄の影響で野球を始め、高校時代には将来を嘱望される選手にまで成長を遂げた。しかし、ドラフト前に腰を痛めてしまい、95年のドラフトでは
ロイヤルズ
の2巡目まで指名が遅れてのプロ入りとなった。
その年はルーキーリーグでプレイし、右打ちから両打ちへ転向。98年9月にメジャーの舞台に上がり、99年には
ジョニー・デイモンと「一番センター」を争い、最終的に156試合の出場で打率.293、22本塁打、108打点、27盗塁を挙げて、チーム史上3人目の新人王に輝いた。さらに112得点も挙げ、新人で100打点と100得点を越えたのは、75年に新人王とMVPを同時受賞したフレッド・リン外野手以来の快挙となった。
2000年には背番号を「36」から「15」に変更するなどさらなる飛躍を誓ったが、膝を痛めて約2ヶ月間もDL入りを余儀なくされるなど、結局、「2年目ジンクス」にぶち当たる結果となってしまった。
01年、開幕前にリードオフマンのジョニー・デイモンが三角トレードで抜け、主砲の
マイク・スウィーニーの絶不調、さらにシーズン途中には、前年に3割、30本塁打、100打点をクリアした
ジャーメイン・ダイまでもがロッキーズへ放出されてしまい、チームは序盤から地区最下位を迷走したが、そんな中でも打率.306、24本塁打、101打点、31盗塁をマークするなど7部門(打率、本塁打、盗塁、二塁打、三塁打(リーグ2位タイ)、出塁率、長打率)でキャリアハイを更新した。
02年は初めて全162試合に出場して、打率こそ.273へ落としたが、29本塁打、105打点を挙げ、
アルフォンソ・ソリアーノ
に次ぐリーグ2位の盗塁(35)をマークするなど、走攻守でバランスのとれた成績を披露。
03年は、新人王に輝いた
エンジェル・ベローア
遊撃手の台頭もあって、チームは開幕ダッシュに成功し、自身は3年連続20本塁打(26本)、100打点、30盗塁(41盗塁=リーグ3
位)をクリアーし、前年の100敗から94年以来9シーズン振りの勝ち越し(83勝79敗、勝率.512=地区3位)に貢献した。
しかし、04年6月にチーム事情やオフにFA権を取得する理由もあり、アスレチックスとアストロズを絡んだ5選手が動く三角トレードで アストロズへ移籍し、ワイルドカード獲得に貢献。ポストシーズンでは5試合連発を含むメジャー記録タイとなる8ホーマー、14打点をマークしてナ・リーグ準優勝の立役者となった。 オフにFAとなり、“ファイブ・ツール”を兼ね備えるオールラウンダーとしてストーブリーグ最大の注目を集め、結局、同オフに現役最強右腕 ペドロ・マルチネスを獲得した メッツと7年総額1億1900万jの大型契約で合意(1億j越えは史上10人目。平均年俸1700万jは史上7番目の高額)。 05年こそ平凡な成績に終わったが、翌06年は自身初の40本塁打をクリアーし、守っては13補殺を記録して、自身初のゴールドグラブ賞を受賞。 |
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