父ボブは80年にフィリーズで世界一に導いた捕手。さらに祖父レイもインディアンスやタイガースで活躍したオールスター内野手であるため、史上初の親子3代メジャーリーガーとなった。しかも弟アーロンもメジャーリーガー。
90年にマリナーズからドラフト5巡目で指名されて南カリフォルニア大から入団。3年目の92年にメジャー昇格を果たすが思うような成績は残せずに終わった。 レッズへ移籍した94年に108試合に出場して打率.320をマーク。しかし、翌年からはセカンドのレギュラーとなりながらも打率は低下。97年は打率が.223まで落ち、マイナー降格を味わうが、守備では守備率.997という年間記録を樹立した。ここまでは打撃より守備の人というイメージだったが、オフにトレーニングを積み、翌98年は自己最多の24本塁打、95打点を挙げて注目を集める。それに加え、自慢の守備では初のゴールドグラブ賞を受賞。 99年、ブレーブスとの間で移籍話が持ち上がり、デニー・ネーグルとマイケル・タッカーを含む大型トレードで移籍。「史上最高のセカンド」と評されて迎えたシーズンだったが、打撃主要3部門で前年を下回った。本領を発揮したのは初めて出場したヤンキースとのワールドシリーズだった。チームは4連敗で終わったが、4打席連続二塁打を含む打率 .538と孤軍奮闘を見せた。 しかしオフには再びトレード要員となりライアン・クレスコと共にキルビオ・ベラス、レジー・サンダース、ウォーリー・ジョイナーとの交換でパドレスへ移籍。 ここでも出塁率が低く大振りが目立つ打撃は拭えずに、オフにはFA権を行使して古巣マリナーズと契約。この年には、日本からイチローが加入して開幕からスタートダッシュに成功。結果的にメジャータイ記録となる116勝を挙げ、自身は打率.331(リーグ5位)、37ホーマー、141打点というすべてで自己記録を更新して打点王に輝いた。セカンドとして放った36本塁打というリーグ記録も達成。本拠地シアトルで行われたオールスターではロベルト・アロマーの定位置だったセカンドを座を奪い、しかも4番に座るなど輝かしいシーズンを送った。しかしプレイオフでは、LCSで2発6打点と活躍したが、結局はポストシーズン打率.200でワールドシリーズは夢に終わった。02年は24本塁打、107打点と前年を大きく下回ったが、翌03年は打率こそ.294で惜しくも3割には届かなかったが、35本塁打、117打点で自身3度目のオールスター出場を果たした。04年は24本塁打、83打点とまずまずだったが、打率は.251とチャンスに打てず、チーム最下位の要因となった。 オールスター出場3度(98、01、03年) |
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