Bronson Arroyo
[Bronson Anthony Arroyo]
Cincinnati Reds
(SP/右投右打/背番号:61)
1977年2月24日生
フロリダ州キー・ウェスト出身

キューバ人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、父が「チャールズ・ブロンソン(俳優)のようなタフガイになってほしい。」と願ったことから、“ブロンソン”と名付けられた。
95年、ドラフト3巡目(全体69位)で指名されてパイレーツ入団。 2000年6月12日にメジャーデビューを果たして、先発と中継ぎをこなしながら20試合に登板し、翌01年は開幕ロスターに名を連ねたものの、24試合の登板で5勝7敗、防御率5.09とメジャーに順応出来ずにマイナー行きを宣告された。


02年6月に再昇格するも、9試合しか登板出来ず、03年2月にはウェーバー公示されてレッドソックスへ移籍。新しいチームではマイナーからのスタートだったが12勝、防御率3.43という目覚ましい活躍でマイナー最優秀選手とインターナショナル・リーグの最優秀投手に選出され、8月にはメジャー再昇格を果たして6ゲームに登板した。 04年から先発ローテーションに定着して、自身初の2桁勝利(10勝)を挙げ、チームの86年振り世界一に貢献。 翌05年にはキャリアハイの14勝をマークするなどカート・シリングらを擁する強力投手陣の中でローテーションを守った。


しかし06年、スプリング・トレーニング中に、ウィリー・モー・ペーニャ外野手とのトレードでレッズへの移籍が決まってしまう。人一倍愛着のあったチームだけに大きく落胆したが、チームメイトのマニー・ラミレス外野手がくれたサイン入りバットを持って心機一転キャンプへ向かった。 移籍1年目はリーグトップの35先発、240.2イニングを投げて、自己最多に並ぶ14勝で3年連続二桁勝利をマーク。さらに防御率3.29はリーグ4位、184奪三振は同6位の好成績で初めてオールスターにも選ばれた。 その活躍もあって、オフには08年までの契約を10年まで2年2050万jという内容で契約延長を結んだ。


足を高く上げる独特のフォームで、時折腕の角度を変えながら縦に曲がるカーブとチェンジアップを中心に、打たせて取るタイプのピッチャー。

(C) Champions
07.07.19 Update

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