Adam Dunn
[Adam Troy Dunn]
Arizona Diamondbacks
(LF/右投左打/背番号:44?)

1979年11月9日生
米テキサス州ヒューストン出身


ニューキャニー高校時代は野球とフットボールをプレイし、98年のドラフトでレッズから2巡目で指名を受けた一方で、テキサス大学からも奨学生の誘いを受け、結局、レッズと契約しながら、大学でもフットボールをプレイした。だが、大学でのフットボールは1年で辞め、99年からは野球一筋を決意。 01年は2Aと3Aに在籍し、オールスター・フューチャーズ・ゲームに米国選抜の「3番レフト」でスタメン出場し、特大ホームランを放ち、チームの勝利に貢献。さらに、その後に行われた3Aのオールスターでも2本のホームランを放ち、MVPを受賞。3Aのオールスターで2本打ったのは93年のライアン・クレスコ以来の快挙だった。 そして、7月20日にメジャーに呼ばれ、翌8月には12本塁打、27打点をマーク。月間12本塁打は新人の月間本塁打記録(これまでのナ・リーグ新人月間本塁打記録は56年8月にフランク・ロビンソンが放った11本)となった。この月は同僚ケン・グリフィーJr.も11ホーマー打っており、チー ム133年の歴史の中で2人の選手が1ヶ月で11本塁打以上を記録したのは初めての快挙だった。 約2ヶ月半だけのルーキー・イヤーは66試合に出場して打率.262、19本塁打、43打点を記録。しかし、新人の当たり年と重なったことで、新人王投票ではアルバート・プホルズロイ・オズワルト、ジミー・ロリンズに次いで、バド・スミスと並ぶ4位タイに終わった。 初のフルシーズンとなった02年は、70年以降ではウェイン・シンプソン(21歳7ヶ月)、ジョニー・ベンチ(22歳7ヶ月)に次ぐ若さとなる22歳8ヶ月でチームとオールスターの両方のロスターに名を連ね、リーグ2位の170三振と同3位の128四球をマーク。 三振数は、99年にマイク・キャメロンが記録した145個を上回る球団新記録で、左打者としてのリーグワースト記録。 四球数は、75年にジョー・モーガンが記録した132個に次ぐ球団史上歴代2位で、16試合連続四球は、87年のジャック・クラークに並びリーグ新記録となった。 03年は8月中盤に左手親指を痛め、そのままシーズンを終えてしまったが、翌04年にはエイドリアン・ベルトレに次ぐ46本塁打をマークしたほか、キャリアハイの102打点、108四球(同6位)、105得点、151安打、34二塁打を記録。一方、70年のボビー・ボンズが記録した189個を更新する195個のメジャー最多三振記録という不名誉な記録も残した。 24歳329日での46本塁打は球団史上4番目に多く、30歳以下ではトップの数字となった。 また、76年のジョー・モーガン以来球団史上2人目となる100得点、100打点、100四球もマーク。 さらに、96年のバリー・ラーキン以来となる30本塁打と30二塁打も記録するなど一躍メジャーを代表するパワーヒッターに上り詰めた。 05年、球団史上初の2年連続で100打点、100得点、100四球をマークし、球団史上3人目の2年連続40本塁打、リーグ3位の114四球、同4位の40本塁打、同5位の107得点を挙げたが、その反面、またもメジャートップの168三振を喫した。 06年は、04年から続く「40本・100打点・100得点・100四球」こそ途切れてしまったが、リーグ2位の112四球、同7位の40本塁打を挙げたほか、92打点、99得点をマーク。 3年連続40本塁打以上は、53年から55年にかけて記録したテッド・クルスゼウスキー以来チーム史上2人目の快挙だった。


極めて三振が多いものの、典型的なフリースインガーではなく、好球が来るまでじっくりと待てる選球眼を持っているために出塁率は高い。

(C) Champions
07.06.17 Update

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