Adrian Beltre
[Adrian Perez Beltre]
Seattle Mariners
(3B/右投右打/背番号:5)
1979年4月7日生
ドミニカ共和国出身

94年7月、 ドジャースと契約(当時、プロ契約の出来る16歳と申請したが本当は15歳だったことが後に判明)。 97年に1Aで本塁打王と打点王の二冠に輝き、98年6月末にトッド・ジール放出もあってメジャー昇格。 メジャーでは77試合で打率.215、7本塁打、22打点に終わったが、オフに参加したドミニカのウィンターリーグでは打率.301、10本塁打、37打点でリーグMVPを受賞。 99年、開幕サードのスタメンに抜擢され、打撃では打率.275、15本塁打、67打点とまずまずの成績を残したが、守備では95年にホセ・オファーマンが記録した35個に次ぐ29個もの失策を犯した。 オフに年齢詐称が明るみに出てしまい、代理人が契約の無効を訴え、フリーエージェントを求めたことで大問題に発展。しかし、最終的には2000年以降もドジャースでプレイすることで落ち着いた。 それでもシーズンが始まれば、打撃主要3部門(.290、20本、85打点)で前年を上回った。しかし課題の守備では前年よりエラーを6個減らしたものの、まだ23個もあった。
未完の大器として嘱望され続けながらも期待の割には平凡な選手としてシーズンを送っていたが、04年にはその才能が如何無く花開き、メジャー最多の48ホーマーで本塁打王、打率.334と打点121はリーグ4位で、ナ・リーグMVP投票では バリー・ボンズに次ぐ次点にランクインしたばかりか、守備の方でもエラー10個で、ゴールドグラブ賞を獲得した スコット・ローレンの守備率.977より高い.978を残して攻守ともに一気にスターダムへのし上がった。 なかでも、チームが地区優勝を争う中、後半戦で打率.356、26本塁打、65打点を叩き出し、チームを95年以来9シーズンぶりの地区優勝に導いた。自身初のポストシーズンでは、4試合で打率.267、1打点と主砲らしからぬ数字で、チームの地区シリーズ敗退を招いてしまった。


オフにFA宣言し、左足首を手術したにも関わらず、数球団から熱烈なオファーを受け、最終的に大砲 リッチー・セクソンを獲得した マリナーズと5年総額6400万j以上(04年年俸500万j)の大型契約で移籍。しかし、移籍後も強肩以外は見せ場は作れず大型契約に見合う結果は残せていない。

(C) Champions

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