A.J.Burnett
[Allan James Burnett]
Toronto Bluejays
(SP/右投右打/背番号:34)
1977年1月3日生
アーカンソー州ノースリトルロック出身

95年、ドラフト8巡目指名でメッツに入団し、150`を超えるストレートを持ちながら制球難に苦しみ勝敗に結び付かない点はあったものの、投球回数を上回る奪三振は高い注目を集めた。


しかし98年のスプリングトレーニング直前に、年俸抑制を進めていたマーリンズへベテラン左腕アル・ライターとの交換で移籍。 その年は、119回を投げて189個もの三振を奪ってチームのファーム最優秀投手に輝き、翌99年はメジャーの先発陣が駒不足となり、8月に急遽コールアップ。 2000年はスプリングトレーニング中に右手親指靱帯を痛めて前半戦を全休してしまったが、翌01年5月12日には、チーム史上3人目のノーヒットノーランを過去最多の9四球で達成した。しかし、この年も持て余す才能は発揮出来ず、11勝12敗と負け越した。 02年8月に打撲症による故障者リスト入りはあったものの、12勝9敗、チーム史上4番目の防御率3.30、リーグ6位の203奪三振、同2位の被打率.209、同トップの被安打率6.74と上々の成績を残し、眠れる豪腕がついにうねりを上げた。 しかし03年は、4月後半に右肘を痛めてトミー・ジョン手術を決意。奇しくも、この年にチームは6年振り2度目の世界一に返り咲いた。 04年6月まで戦列を離れていたものの、復帰後は7勝6敗、防御率3.68と復調の兆しを見せ、翌05年は年俸抑制による得点力不足の影響で勝敗こそ12勝12敗のイーブンだったが、防御率3.44と198奪三振は及第点とも言える数字だった。 しかし、シーズン中からチーム批判を繰り返し、9月後半にはシーズン終了を待たずして退団の意志を表明。


その年のオフ、FA宣言して5年総額5500万jという大型契約でブルージェイズと契約し、エースのロイ・ハラデーに次ぐ先発2番手として迎え入れられたが、06年も序盤に右肘の怪我で2度故障者リスト入りしてしまい、結局、10勝8敗、防御率3.98と年俸に見合わない成績でシーズンを終えた。


カーブの切れがピッチングを左右するため、調子が良ければ快速球が生き、多くの三振を奪う。他にも高速シンカーとチェンジアップ、ナックルカーブを投げ分ける。

(C) Champions
07.07.01 Update

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