【スティーブ・カールトン】
Steve Carlton
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Cardinals→Phillies→Giants
→Whitesox→Indians→Twins

(投手/左投左打/背番号:32)
1944年12月22日生
米マイアミ出身

子供の頃はひょろりとしていたことから「イカボッド」(ワシントン・アーヴィングの古典的小説『スリーピー・ホロウの伝説』に出てくる主人公イカボッド・クレーンに由来)と呼ばれていた。 リトル・リーグ時代から才能の片鱗を覗かせ、アメリカン・リージョン・ボール(15〜18歳が対象)やノースマイアミ高校でプレイしたあと、マイアミ・デイド・コミュニティ大学へ進学。
入学して間もない63年10月に、カージナルスのスカウトに眼をつけられ契約金5000jで契約。 プロデビューした64年は、クラスAで10勝1敗、防御率1.03。 しかも、79回を投げて91個もの三振を奪った。 翌65年、メジャーのベンチ入りを果たし、66年終盤にはローテーションの一角を任された。 ところが、体力不足と球種不足という問題が次第に顕著になって表れてきた。 そこで意を決して、68年の日本遠征中にスライダーの開発に乗り出す。 スライダーを会得して迎えた69年は、防御率(2.99→2.17)と奪三振(162→210)が飛躍を遂げた。 この年のハイライトは、9月15日のメッツ戦で当時のナ・リーグ記録となる19三振を奪ったことだろう。 初めて20勝を挙げた71年冬に、6万jの年俸を要求したが、チーム側は5万5000jを提示。 結果、最下位が指定席のフィリーズへトレードされてしまった。
復讐に燃える翌72年、27勝を挙げ、初のサイ・ヤング賞に輝いた。 この年、フィリーズの勝ち星は59だったため、実に46%近くを稼いだ計算になる。 内訳は、346.1回(リーグ1位)を投げて30完投、8完封、防御率1.97(リーグ1位)、奪三振310(リーグ1位)、なかには15連勝も含まれていたのだから、その驚異の程が窺える。
以後、伝説の選手へと邁進する。 70年代半ばにはガス・ヘフリングという導師を得て筋肉トレーニングの成果を挙げ、野球におけるコンディショニングの概念を変えた。 80年には、弱小フィリーズにとって初のワールドチャンピオンをもたらした。 86年途中まで在籍し、14年間余りに最多勝4度奪三振王5度最優秀防御率1度を獲得した。
その後、ジャイアンツ、ホワイトソックス、インディアンスと渡り、88年にツインズで現役を引退。
サイ・ヤング賞4度、通算329勝(244敗)は歴代9位、サウスポーとしてはウォーレン・スパーンの363勝に次ぐ歴代2位。 奪三振4136個は、ノーラン・ライアンに次いで歴代2位という輝かしい成績を収め、94年に殿堂入りした。
また、「奇行」とも騒がれた。 当時、投手にはタブーとされていたアイソメトリクスに挑んで筋肉を強化。 それに加え、メンタル・トレーニングの重要性を自覚し、東洋哲学の本を何冊も読破して集中力を高めた。 最も有名な逸話は、78年に始まる「沈黙事件」だろう。 地元フィラデルフィアの新聞が報道したでたらめの記事に怒り、以後8年ものあいだ、メディアに対して沈黙を守り続けた。


通算成績
5216回1/3 329勝244敗 4136奪三振 防御率3.22

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